投稿者プロフィール

高田哲哉日本の歴史研究家

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

高田哲哉一覧

  • 3分でわかる吉田松陰の偉大さ

    吉田松陰は、1830年、長州藩の藩士・杉百合之助の次男として生まれた。 家禄26石と言う農業もする貧しい暮らしであったが、父は子供たちと一緒に畑仕事をしながら、四書五経を素読するなど教育熱心で、吉田松陰は叔父・玉木文之…
  • 秋月悌二郎 ~幕末の会津藩における中心人物として貢献

     秋月悌二朗(秋月悌次郎、あきづきていじろう)は、幕末の会津藩の藩士で、1824年7月2日、丸山四郎右衛門(丸山胤道(かずみち)150石の次男として会津若松城下に生まれた。  会津藩校・日新館の成績は抜群で、飛び級で通…
  • 山本八重(新島八重)~幕末のジャンヌ・ダルク

    山本八重は、会津藩士・山本権八・佐久(さく)夫妻の子として1845年12月1日に生まれたが、戊辰戦争の渦に巻き込まれることになった。兄は山本覚馬。 父・山本権八は、会津藩砲術指南役で元の名は永岡繁之助。会津藩の砲術家・…
  • 小田時栄(おだときえ) 山本覚馬の世話をした女性

     京都守護職となった松平容保の会津藩が、京都を警護した際に、会津藩士・山本覚馬も京に上った。  しかし、山本覚馬は、まもなく失明状態となり、失明状態の山本覚馬は、公用の職から身を引いて、清浄華院において静養していたよう…
  • 山本うら(樋口うら) ~ 山本八重の兄・山本覚馬の妻

    樋口うらは、会津藩勘定方・樋口家の娘であったと考えられるが、嫁ぎ先の山本家との関係、また、樋口家が、どの会津藩家臣の樋口氏に当たるのか、詳細は不明である。  1857年、山本覚馬と樋口うらが結婚。山本覚馬は山本…
  • 山本覚馬~会津藩の砲術指南役から京都府議会の初代議長へ

    山本覚馬(やまもとかくま)は会津藩・砲術指南役・山本権八の長男として鶴ヶ城近くの武家屋敷にて1828年1月11日誕生。母は佐久。 山本家の遠祖は甲州流軍学、武田信玄の軍師でも知られる山本勘助が祖であると言われる。 …
  • 川崎尚之助~山本八重の最初の夫も苦労を重ねて失意のうちに・・・

    大河ドラマ「八重の桜」でも注目を浴びた、山本八重の最初の夫とされる川崎尚之助は、会津に来る前までは川崎正之助と言う漢字の名前だった。 川崎正之助(かわさきしょうのすけ)は出石藩(兵庫県)の藩医の子であるとされるが、町医…
  • 会津藩の松平照姫~会津藩・松平容保公を支えた高貴な女性

    照姫は、第9代上総飯野(現在の千葉県富津市)藩20000石の藩主・保科正丕(ほしなまさもと)の3女として1832年12月13日に、江戸藩邸にて生まれた。 正しい漢字は「熈」だが、自ら「照」と書いた姫。 上総飯…

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