タグ:新選組
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近藤周助(こんどう-しゅうすけ)は、1792年に名主・嶋崎休右衛門の5男として生まれた。
幼名を関五郎、その後、嶋崎周平、嶋崎周助と嶋崎周助と改名。
この嶋崎家(島崎家)は、武蔵国の多摩郡小山村字三つ目…
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12代・和泉守兼定(いずみのかみ-かねさだ)による土方歳三の愛刀は2尺3寸1分6厘。
会津の名刀匠である兼定は、会津御抱鍛冶であり、会津藩主・松平容保の上洛に従って、京都で刀を作っていた。
ただし、京に行っていた…
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小島資料館
試衛館時代の近藤勇・土方歳三・沖田総司らが、度々出稽古に訪れていた小野路(東京都町田市)の名主が、この小島鹿之助さんでした。
収入が乏しかった試衛館にとって、出稽古は貴重な収入源でもありました。
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土方歳三資料館
東京都日野市の国道20号の日野バイパス近く、多摩モノレールの「万願駅」からほど近いところに「土方歳三資料館」があります。
そうです。新選組の副長として京だけでなく、近藤勇の死後も、会津・函館と旧幕…
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新選組の副長・土方歳三と、局長・近藤勇。
若きリーダーである近藤勇を、一番良く理解した土方歳三が支えたと言う。
普通に新選組を語るのであれば、局長であった近藤勇が先に来て「近藤勇と土方歳三」と言う風になると存ずる…
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沖田総司とは
沖田総司(おきたそうじ)は、陸奥・白河藩士・沖田勝次郎(足軽頭)の嫡男として、江戸の白河藩邸(東京都港区西麻布)にて生まれた。
生年に関しては、1844年、又は1842年のどちらかと言う説があり、生…
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お登勢(おとせ)は、大津で旅館業・大本重兵衛の次女として1829年頃に生まれた。
※米問屋の娘ともあるが、2013年に大津・丸屋町で「升屋」と言う宿を経営した重助の次女で、兄弟が4人いたことも判明している。
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大鳥圭介(おおとりけいすけ)は、播磨赤穂の赤松村(兵庫県赤穂郡上郡町岩木丙石戸)の医師・小林直輔の長男として、1833年(天保4年)2月25日に生まれた。幼名は慶太郎で、成人すると小林慶太郎と名乗っている。
3歳の…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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