御陵衛士 油小路の変で壊滅 知られざる活動内容とは?

御陵衛士



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新選組が題材となっている小説・漫画・ドラマでは、池田屋事件同様、油小路の変が見せ場になっています。
新選組から御陵衛士として離隊した伊藤甲子太郎の暗殺、その亡骸を引き取りに来た御陵衛士との乱戦。
それだけではなく、御陵衛士に間者として紛れていた斎藤一の暗躍、新選組設立時からの幹部である藤堂平助の討ち死になど、ただの暗殺事件とは言えないバックグラウンドがあります。

ですが、小説・漫画・ドラマからはわからないのが、御陵衛士の活動内容です。
御陵衛士(ごりょうえじ)らは、新選組から離隊し、伊藤甲子太郎を中心に、どのような活動をしていたのか、作中で描かれることはほとんどありません。



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そこで今回は、油小路の変で壊滅した御陵衛士がどのような活動に奔走していたのかご紹介します。
新選組から離隊して新選組に壊滅させられただけというイメージが覆るきっかけになるかもしれません。

油小路の変についておさらい

油小路の変について振り返ります。
慶応3年(1867年)3月10日、新選組参謀・伊藤甲子太郎が実弟・鈴木三木三郎はじめ、同志15人とともに離隊しました。
このとき、新選組幹部である藤堂平助、斎藤一も離隊しています。

当初は尊王攘夷で一致していたものの、京都守護職お預かり、つまり幕府組織のひとつである新選組は佐幕派であるのに対し、伊藤甲子太郎は倒幕(ただし武力倒幕ではない)論者であったため、両者の思想は相容れないものでした。

朝廷から御陵衛士(孝明天皇の御陵を守護する役割)を拝命した伊藤甲子太郎は、高台寺の月真院に屯所を構えて政治活動をおこないました。

その一方、新選組の間者であった斎藤一は、近藤勇暗殺の企てがあることを知らせます。
新選組は先手を打って伊藤甲子太郎暗殺に踏み切りました。

慶応3(1867)年11月18日、近藤勇は伊藤甲子太郎と酒宴をおこないました。
そのまま徒歩で御陵衛士屯所に向かった伊藤甲子太郎を暗殺、西本願寺から程近い油小路に捨て置いた遺体を引き取りに来た御陵衛士たちと乱闘になります。



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藤堂平助、服部武雄、毛内有之介が討ち死にしています。
伊藤甲子太郎暗殺により、御陵衛士は壊滅しました。

御陵衛士の8ヶ月間の活動内容

御陵衛士は政治活動に奔走していました。孝明天皇の御陵守護にあたるべく組織されていますが、そのような役割をこなしていたという記録はありません。

話し合いによる王政復古を実現し、積極的な開国によって富国強兵を目指そうとしていました。
どちらかというと、坂本龍馬の思想に近いものがあったのではとも言われています。

そのために、御陵衛士は8ヶ月間に以下のような活動をおこないました。

大開国大強国の建白書提出

御陵衛士の伊藤甲子太郎は朝廷に建白書を提出しています。
提出されたのは大政奉還から程なくの頃です。
新政府の方向性として大開国大強国を提案しています。
積極的な開国・富国強兵に必要なことがまとめられています。

政権は公家が持つこと
内紛を避けて日本人が一致団結すること(一和同心)
全国民が有事には戦闘に加わること(国民皆兵)



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尊王攘夷が前提である薩摩藩・長州藩と比較すると、伊藤甲子太郎の意見はさらに朝廷が重要視されていることがわかります。
また、薩摩藩・長州藩とは違い、武力倒幕を避けようとしています。徳川幕府からも有能な人材がいれば積極的に登用することも併記されていました。

日本各地で重要人物と会談

御陵衛士は京都だけでなく、九州は太宰府・長崎、中国は長州、近畿は尾張などに赴いて重要人物と会談、国事について話し合いました。

そのなかには、坂本龍馬中岡慎太郎、品川弥次郎などがいます。公家では東久世通禧三条実美などとも会談しています。

似通った思想を抱いていた坂本龍馬に、もっと安全なところに移動するよう勧めたとも言われていますが、その数日後に坂本龍馬は暗殺されました。
後に言う近江屋事件です。

英語を勉強していた

神戸海軍操練所、あるいは海援隊・陸援隊にも重なりますが、御陵衛士たちは開国を見据えて英語の勉強をしていたようです。

最新の火薬精製をおこなっていた

当時の資料には「ロケット」のための火薬精製をおこなっていたという記載があります。
詳細はわからないものの、御陵衛士たちは最新の火薬研究をおこなっていたようです。

武力倒幕のためでなく、開国後、諸外国と渡り合うことを想定していたとみられます。



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御陵衛士はわずか8ヶ月の活動期間において、精力的に政治活動をおこなっていたことがうかがえます。

新選組サイドから御陵衛士、そして伊藤甲子太郎という人物を見たとき、どうしても新選組が「善」であり、御陵衛士が「悪」のようにとらえられがちです。

新選組の小説・漫画、あるいはゲームなどのメディア作品では、一癖も二癖もある、ときには気持ち悪さを前面に押し出したキャラクターに設定されていることも珍しくありません。

ですが、実際のところ、油小路の変で暗殺されていなければ、坂本龍馬亡き後、その意思を継いだ偉人になっていたかもしれません。

油小路の変は、奇しくも坂本龍馬暗殺から三日後の出来事だったのです。

(寄稿)いずみさわふじこ

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