過去の記事一覧

  • 奇兵隊とは~高杉晋作が理想掲げた軍隊は強かった

    奇兵隊は長州藩士・高杉晋作の提案で1863年6月に創設された常備軍。 下関戦争で外国艦隊にあえなく敗れた長州藩は一転して危機を迎える。 高杉晋作が「奇を以って虚をつき敵を制する兵をつくりたい」と周布政之助…
  • 奇兵隊士の八兵衛と熊七

     高杉晋作が創設した「奇兵隊」は、国の為に戦うと言う志があれば、身分問わず、農民でも入隊できると言う画期的な軍隊でした。  やがて、藩命で高杉晋作は奇兵隊から離れて、藩の政務につきましたが、そんな奇兵隊に入隊した農民出…
  • 津田梅子~日本女性の自立に向けて生涯支えた先駆者

    津田梅子(つだ-うめこ)は、幕臣だった津田仙の次女として、江戸の牛込南御徒町(東京都新宿区南町)にて明治元年12月3日に生まれた。 母は、津田初子。 父が幕臣から、築地のホテル館に勤務を始めたため、一家は向島へ移…
  • 案下の口留番所と松姫の石碑

     東京都八王子市恩方の案下付近に「関場」と呼ばれる場所があります。  江戸時代に入り、関所(番所)が設置されました。  口留番所(くちどめばんしょ)と言うのは、正式な関所ではなく、各藩が自分の藩の境界や交通の…
  • 土倉庄三郎 日本を吉野から動かした山林王・造林王

    土倉庄三郎(どくら-しょうざぶろう)は、大和の吉野郡大滝村(奈良県吉野郡川上村大滝)で、山林地主で林業を営む土倉庄右衛門の子として、1840年4月10日に生まれた。 母の名は京で、幼名は、丞之助。 1856年、1…
  • 河上彦斎(人斬り佐吉、人斬り彦斎) 幕末の四大人斬り

    河上彦斎とは 河上彦斎(かわかみ-げんさい)は、熊本藩の下級藩士・小森貞助の次男として、幕末の1834年11月25日に熊本城下の新馬借町にて生まれた。初名は小森彦次郎。 母は和歌。 11歳の頃、河上源兵衛(…
  • 三井高長~三井室町家の当主【あさが来た】

     NHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」にも登場するであろう、三井高長と言う人物について調べてみた。  三井高長は三井13家である三井室町家の当主(三井財閥一族の伊皿子家八代目)であったが、若い頃から遊んで暮らして…
  • 征韓論とは西郷隆盛VS大久保利通・岩倉具視の戦い

    征韓論(せいかんろん)とは、明治初期に、留守政府として政治を取り仕切っていた西郷隆盛・板垣退助・江藤新平・後藤象二郎・副島種臣らによる、武力をもって朝鮮を開国させようとする主張です。 一般的には、版籍奉還にて没落した武…

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  2. 明治天皇(めいじてんのう)は、孝明天皇の第二皇子として嘉永5年(1852年)9月22日に、京都石薬師…

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