過去の記事一覧
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中川宮(久邇宮朝彦親王)とは
中川宮朝彦親王(なかがわみやあさひこしんのう)、久邇宮朝彦親王は、伏見宮邦家親王の第四王子として1824年3月27日に生まれた。幼称は富宮。
母は女房の鳥居小路信子。
1836…
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八月十八日の政変(はちがつじゅうはちにちのせいへん)とは、幕末の1863年8月18日に、公武合体派が尊皇攘夷過激派を京都から追放した政変(クーデター)。
朝廷・孝明天皇を尊王とし、外国を打ち払う攘夷を唱えた長州…
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鷹司輔煕(たかつかさすけひろ)は、、藤原氏摂関家鷹司家である関白・鷹司政通の子として1807年11月7日に生まれた。
母は水戸藩主・徳川治紀の娘・徳川清子。
1817年に元服すると、1818年5月には従三位…
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沖田総司とは
沖田総司(おきたそうじ)は、陸奥・白河藩士・沖田勝次郎(足軽頭)の嫡男として、江戸の白河藩邸(東京都港区西麻布)にて生まれた。
生年に関しては、1844年、又は1842年のどちらかと言う説があり、生…
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白石正一郎(しらいししょういちろう)は、長門の赤間関竹崎にて萬問屋(荷受問屋、廻船問屋)の小倉屋主人・白石卯兵衛の長男として、1812年3月7日に生まれた。通称は駒吉。または熊之助。号は橘円。
母は艶子。
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遠藤謹助(えんどうきんすけ)は、長州藩士の子として1836年2月15日に生まれたが、幼少期の頃は良くわかっていない。
遠藤太市郎の弟とされる。
1862年、長州藩がイギリスから購入した蒸気船「壬戌丸」(ラン…
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井上勝(いのうえまさる)は、長州藩士・井上勝行の3男として1843年8月1日、萩にて生まれる。
程なく野村家の養子となり野村弥吉と称した。
16歳のとき、藩命で長崎にてオランダ人から兵学を生部と、翌年には江戸…
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吉川経幹(きっかわつねまさ)は長州藩の支藩となる周防岩国領(6万石)の第11代領主・吉川経章の長男で、1829年9月3日に生まれた。通称は監物。幼名は亀之進。
母は家臣・長井元幹の娘・梅(清操院、長井省吾の妹)。
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ピックアップ記事
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岩倉具視(いわくらともみ)は、1825年9月15日、公卿(権中納言)・堀河康親の次男として京都にて生…
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島津久光(しまづ-ひさみつ、島津忠教)は、薩摩藩の第10代藩主・島津斉興の5男として、1817年10…
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