過去の記事一覧
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楫取素彦【小田村伊之助】とは
小田村伊之助(楫取素彦)(かとり-もとひこ)は、1829年3月15日、長門国萩魚棚沖町(現・山口県萩市)の長州藩医・松島瑞蟠の次男として生まれた。通称は久米次郎または内蔵次郎。
兄に…
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入江九一は、1837年、長州で生まれた。通称は万吉、杉蔵。
父は長州藩の足軽・入江嘉伝次。
家が貧しかったため、13歳で働いて家計を支えながら学問に励んだと言う。1854年に父が亡くなると、自分1人で家…
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吉田稔麿
吉田稔麿は、1841年閏1月24日に松本村新道にて誕生した。初名は栄太郎。
父は長州藩士の足軽・吉田清内。母の名は吉田イク。
吉田稔麿の生家と、吉田松陰の生家は近所で、萩の松陰神社の近くに吉田稔…
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周布政之助(すふまさのすけ)は、1823年3月23日に誕生した。
父は、長州藩士・周布吉左衛門(大組219石)で、5男として生まれた。政之助は通称であり、実名は周布兼翼(かねすけ)。
この周布家は戦国武将・益田藤…
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1839年に誕生した杉寿(すぎひさ)は、吉田松陰の妹であり、杉文(楫取寿子)の4歳年上の姉。父は長州藩士・杉百合之助。
杉家には長姉・芳子(千代)(1832-1924)がいて児玉祐之の妻となったので、次女であっ…
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杉梅太郎は1828年2月29日に長門国萩松本村(萩市椿東)で誕生した。名は修道。字(あざな)は伯教。通称は梅太郎。号は学圃(がくほ)。
父は萩藩士・杉百合之助で、母は滝。
2歳年下の弟に吉田寅次郎がいる。杉梅太…
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玉木文之進(たまきぶんのしん)は、1810年9月24日、長州藩士で無給通組・杉常徳(杉七兵衛)の3男として萩で生まれる。
1820年6月、家格では杉家より上にあたる大組士・玉木正路(玉木十右衛門)(40石)の養…
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杉百合之助は1804年2月23日生まれ。
父は、長州藩の給通組士・杉常徳(杉七兵衛)。
玉木文之進は実弟。
26石の小禄であり、長州藩士約3000名の中だと2000位くらいの石高となる。
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