過去の記事一覧

  • 吉田松陰とは 詳細版 吉田寅次郎の生涯 幕末の偉大な奇人

     NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」にて注目を浴びている「吉田松陰」(吉田寅次郎)に関して、出来る限り詳しく年表形式にてご紹介させて頂く。  吉田松陰は、1830年(文政13年)8月4日、家禄26石と言う知行を持たない無…
  • 宮部鼎蔵~池田屋事件に散った熊本藩の勤王志士

    宮部鼎蔵(みやべていぞう)は1820年4月、肥後国益城郡田代村(熊本県上益城郡御船町)にて、宮部春吾の長男として生まれた。宮部鼎三とも。諱は増実。号は田城。 代々医者の家庭で、叔父の宮部増美の養子となった。実弟に宮…
  • 寺島忠三郎~長州藩・尊皇攘夷派忠義の門弟

     寺島忠三郎(てらしまちゅうざぶろう)は1843年に周防国熊毛郡原村(周南市)で生まれた。  長州藩の無給通組・寺島直一の次男。諱は昌昭、字は子大。  弟に寺島秋介がいる。  一度、作間家の養子となったがの…
  • 士規七則とは? 吉田松陰が贈った言葉

     士規七則は、吉田松陰が従弟の玉木彦助に送った言葉だ。  逸材中の逸材として玉木彦助を松下村塾の後継者と考えていたとされる。  ・ 玉木彦助に関してはこちら 士規七則の現代語訳  人として生まれた…
  • 松浦松洞 (松浦亀太郎)  吉田松陰の肖像画を残した画伯

     松浦松洞(松浦亀太郎)は、萩の松本にて1837年に生まれた魚商人の子。  名は温古、字は知新、後無窮(むきゅう)と改める。通称を亀太郎という。松洞はその号。  幼い頃から絵を描くのが好きで、四条派の羽様西涯(は…
  • 松島剛蔵~初代長州藩海軍総督に就任した藩医

    松島剛蔵(まつしまごうぞう)は、1825年3月6日生まれで、長州藩の藩医・松島瑞蟠の長男。萩の中ノ倉にて誕生した。 弟に小田村伊之助(楫取素彦)と小倉健作がおり、小田村伊之助は、吉田松陰の妹・杉久と結婚し、死別後、…
  • 野山獄と岩倉獄とは?  長州藩の牢獄

     長州藩の牢獄は「野山獄」と「岩倉獄」の2つが有名だが、それぞれの特徴や違いをご紹介したい。 野山獄  野山獄は、長州藩の士分(武士関連)の者を収容する上牢。  元々は、長州藩の大組藩士禄高200石・野…
  • 高須久子~野山獄での吉田松陰との俳句

     高須久子(高洲久子)は、萩藩でも330石と言う高禄である名門・高須家の跡取り娘。(生年月日は不詳)  この高須家は毛利家に代々仕えた毛利家臣・杉原三家の1つで、高杉晋作も遠縁だと言う。  婿養子の夫が若くし…

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  1. 岩倉具視(いわくらともみ)は、1825年9月15日、公卿(権中納言)・堀河康親の次男として京都にて生…
  2. 江藤新平(えとう-しんぺい)は佐賀藩下級藩士・江藤胤光と妻・浅子の長男として、1834年に佐賀郡八戸…

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