西郷従道~ロシアから日本を守った影の立役者(西郷隆盛の弟)


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西郷従道(さいごう-じゅうどう、つぐみち)は、薩摩の加治屋町山之口馬場(下加治屋町方限)にて、1843年5月4日に生まれた。
父は薩摩藩の勘定方小頭などを務めた西郷吉兵衛で、母は政子。
兄に有名な西郷隆盛西郷吉二郎、弟に西郷小兵衛がいるが、西郷従道が9歳の時、父母を相次いで亡くしている。

下記は西郷従道と西郷隆盛が生れた場所にある庭園跡となる。

薬丸兼義から剣術・薬丸自顕流を習ったほか、伊地知正治からは合伝流と言う兵学を学んだ。
そして、有村俊斎の推薦を受けて薩摩藩主・島津斉彬に出仕すると茶坊主となり西郷竜庵と号した。

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1861年9月30日に還俗して本名を西郷隆興、通称を西郷信吾(西郷慎吾)と改名すると、西郷隆盛・大久保利通・伊地知正治らが結成したぬ精忠組に入り尊王攘夷の活動を行った。

1862年、京都で過激な尊皇攘夷活動をしていた精忠組内の有馬新七らの一党に加わったが、寺田屋事件で薩摩藩から弾圧を受け、西郷従道は年少のため帰藩謹慎処分となった。
1863年、薩英戦争となると謹慎が解かれ、西瓜売りを装った決死隊に志願している。
下記はイギリス艦を砲撃した砲台となる祇園之洲砲台跡。

戊辰戦争では、鳥羽・伏見の戦いの際に、貫通銃創の重傷となったが、各地を転戦。

明治になり新政府の太政官となったが、その時に名前をリュウコウ(隆興)と口頭で述べたものの、役人は「ジュウドウ」と聞き取り「従道」と記録されてしまう。
しかし、本人も訂正せずにそのままであったので、結局、名前は公式に「西郷従道」となった。
ちなみに、兄・西郷隆盛の本当の名前・西郷隆永も、父・西郷吉兵衛の諱である隆盛を、同志であった吉井友実が勘違いして登録してしまったので、西郷隆盛となっている。

西郷従道は軍人畑を歩むこととなり、1869年(明治2年)、山縣有朋とヨーロッパへ渡り軍制を調査し、ロシアでは皇帝アレキサンドル2世にも拝謁。
明治3年(1870年)7月に横浜港に帰国すると、8月22日に兵部権大丞に任じられて正六位となった。
明治4年(1871年)7月、陸軍少将となるが、明治6年(1873年)に、兄・西郷隆盛が征韓論を巡って政府と対立し下野する。
この時、薩摩藩出身の多くが西郷隆盛に従ったが、西郷従道は明治政府に留まっている。
「おはんな、東京に残れ」と西郷隆盛が語ったとされている。

明治7年(1874年)、陸軍中将となると台湾出兵にて蕃地事務都督となり軍を指揮。

明治10年(1877年)、西郷隆盛が西南戦争を起こすと、西郷従道は陸軍卿代行に就任して、出征した陸軍卿・山県有朋の代わりに東京の留守を守った。

西南戦争で西郷隆盛軍を鎮圧したと明治天皇に報告したのは、陸軍卿代理として東京に留まっていた西郷従道であった。
明治天皇は「ご苦労であった。兄の隆盛は、惜しいことをいたしたのう」と西郷隆盛の死を悼んだが、西郷従道が厚く礼を述べて下がろうとすると「従道、これからも勤めてくれよ」とお言葉をかけられたと言う。

明治11年(1878年)に大久保利通が暗殺されると参議になり、そして陸軍卿となり薩摩閥の重鎮として君臨する。

明治15年(1882年)1月11日、黒田清隆が北海道開拓使の長官を辞職すると、参議・農商務卿兼務のまま西郷従道が開拓使長官に任じられたが、まもなく明治15年2月8日に開拓使は廃止された。

明治17年(1884年)、華族令制定に伴い伯爵となり、1885年4月に天津条約の締結では伊藤博文総理大臣の元、陸軍出身でありながら初代海軍大臣として清国へ渡った。

そして人事面では山本権兵衛大佐を海軍省官房主事に抜擢。
西郷従道は大山巌と同じで、部下に仕事を任せては口を出さず、失敗した際の責任は自分が取ると言うスタンスであったことから、山本権兵衛も能力を発揮できたとされており、日清戦争と日露戦争での日本海軍勝利に導いた。

明治25年(1892年)、元老となり枢密顧問官となり、同年、品川弥二郎とともに国民協会を設立し会頭も務めた。

明治27年(1894年)、海軍大将となると、明治28年(1895年)には侯爵に陞爵。

明治31年(1898年)、海軍の軍人としては、日本で初めての元帥となる。
内閣総理大臣の候補として明治天皇から再三組閣を命じられた際にも、兄・西郷隆盛が逆賊の汚名を受けていたため、大山巌同様に断り続けたと言う。

なお、ロシアとの対決を予測して、軍艦建造費以外の予算をかき集めて、戦艦・三笠の建造を推し進めた。

日露戦争での東郷平八郎による日本海海戦大勝利を見ることなく、明治35年(1902年)7月18日に死去すると、従一位となっている。享年60歳。

愛知の明治村に、目黒にあった重要文化財・西郷從道邸が移築展示されている。

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