西郷吉兵衛と西郷満佐とは~西郷隆盛の父と母と使用人の熊吉も

西郷家



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幕末の英雄である西郷隆盛の両親となる西郷吉兵衛と西郷満佐に関してご紹介したいと存じます。

西郷吉兵衛(さいごう-きちべえ)は薩摩藩の鹿児島城下士(下級藩士)で、家格は御小姓与、勘定方小頭を務めていました。
1827年頃?に、薩摩藩士・椎原国紀の娘である椎原政佐(しいはら-まさ)を妻に迎えたようです。
日置郷士である四本義照の姉、四本大清院の妹ともされます。

1827年12月7日には、嫡男・西郷隆盛が誕生しています。
この西郷隆盛の母・西郷満佐子(西郷満佐、マサ、西郷政子)は、良妻として知られ、長女・西郷琴、次男・西郷吉次郎(西郷吉二郎)、次女・西郷鷹、三女・西郷安、三男・西郷従道、四男・西郷小兵衛と子宝にも恵まれました。


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1847年6月20日に父・西郷隆充が隠居したため、西郷吉兵衛が家督を相続していますが、当時の石高は約47石ですので、暮らしは決してラクではなかったことでしょう。
屋敷は鹿児島県加治屋町5番地(西郷隆盛誕生碑の場所)で広さは259坪あったと言います。
ちなみに、大久保次右衛門(大久保利通の父)の屋敷は広さ150坪、東郷吉左衛門(東郷平八郎の父)宅地は267坪との事です。
下記は現在ある西郷隆盛誕生碑となります。

西郷隆盛誕生地碑

なお、西郷吉兵衛’西郷九郎隆盛、西郷吉兵衛隆盛)の母は、日置島津家の家来である四本義照の姉でした。
そのため、日置島津家で家老の島津久風とその嫡子・島津久徴や、その庶流で赤山家を継いだ赤山靭負の家政上の管理・世話をする御用人も兼務していました。
日置島津家は、現在の鹿児島市千日町に「島津和泉」の広大な宅地を構えていたようです。

1850年に、島津久光お由羅の方を排除しようした「お由羅騒動」にて赤山靭負が切腹となった際には、西郷吉兵衛が遺言を聞き、臨終を見届けてあとの処理も指示しました。

このとき、切腹した赤山靭負の血染めの肌着を自宅に持ち帰ると、西郷吉之助(西郷隆盛)(24歳)に見せて、涙ながらに赤山靭負の最後を語ったと言われています。
こうして、西郷隆盛は島津斉彬の相続を願うようになったもされています。
西郷隆盛は、近思録崩れの秩父季保愛読の「近思録」を輪読する会を、大久保一蔵(大久保利通)・税所喜三左衛門(篤)・吉井幸輔(吉井友実)・伊地知竜右衛門(伊地知正治)・有村俊斎(海江田信義)らと結成しますが、これがのちの精忠組ーとなります。

1852年、西郷吉之助が伊集院兼寛の姉・伊集院須賀(スガ、伊集院 敏、伊集院 敏子とも)と結婚します。
しかし、西郷家には相次いで不幸が訪れます。
1852年7月18日、西郷隆盛の祖父で、西郷吉兵衛の父・西郷隆充が死去すると、1852年9月27日には西郷吉兵衛も死去しました。(享年46)
更に、自身も病でありながら献身的に夫を看病していた西郷満佐子(西郷マサ)も、1853年11月29日に亡くなります。
そのため、嫡男・西郷吉之助(西郷隆盛)と、長女・西郷琴らが、西郷家の家計を支えました。

熊吉とは

西郷家を支えた人物としては「熊吉」がいます。
永田熊吉(ながた-くまきち)と言いますが、父・永田熊次郎が西郷隆盛に仕えており、親子で西郷家を手伝い、鹿児島市加治屋町に住んでいたと言います。

明治に入って西郷隆盛が征韓論で下野し、東京から鹿児島に戻る際には、日本橋の土地や家を売るのに永田熊吉が尽力しています。

西南戦争の際に西郷家の一家が西別府(にしのびゅう)村の農作業小屋に避難するのを手伝うなど、西郷家のピンチを救ったひとりが従僕であった熊吉と言う事になります。
更に、西郷隆盛3番目の妻である西郷糸子から、新しい着物と帯を預かると、永田熊吉が城山に籠る西郷隆盛に届けたとされます。

更には、延岡・和田越えの戦いにて、右足に銃弾を受けて、膝下を切断した西郷菊次郎を手助けしました。
西郷菊次郎は、奄美大島で西郷隆盛が愛加那との間に設けた子です。
永田熊吉は歩けない西郷菊次郎(16歳)を背負って、西郷隆盛の弟・西郷従道のもとへ連れて行き投降させたと言います。
この時、西郷従道は甥の投降を大変喜び、熊吉に感謝したと伝わります。



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西郷隆盛が城山にて自害したあと、熊吉は西郷従道の手伝いをしました。
東京・目黒にあった西郷従道の屋敷にて、庭師などをしていたことから、現在の西郷山公園の原形を作ったとも言われています。

献身的に西郷家を支えた一人が熊吉と言うのは間違いないでしょう。
墓は東京青山墓地。

西郷隆盛が生まれた屋敷跡への行き方・アクセスですが、下記のポイント地点となります。

西別府の避難先「南洲野屋敷跡」は下記の地図ポイント地点が入口となります。

地図は縮尺を変えてご覧願います。
鹿児島の史跡などの場所は下記のオリジナルGoogleマップでもまとめてあります。

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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