赤山靭負と島津久徴が目指した島津斉彬の擁立とお由羅騒動との関係

赤山靭負



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お由羅騒動に大きくかかわることになる赤山靭負と兄・島津久徴について、お由羅騒動とともに触れてみたいと存じます。

まず、赤山靭負(あかやま-ゆきえ)でございますが、幕末の1823年1月17日に生まれた薩摩藩の重臣となります。
父は島津家の分家・日置島津家12代の島津久風です。
戦国時代に大活躍した島津四兄弟の3男・島津歳久の系統が日置島津家と言う事になります。
小松帯刀の領地である吉利領2600石の北となる伊集院などに日置島津家は約9000石も領し、21家の一所持格の中でも特別であり、また4家の島津一門に次ぐ名門として、代々家老などを務めていました。


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ただ、赤山靭負(赤山靱負)が嫡子と言う事ではなく、兄・島津久徴(しまづ-ひさなが)がいます。
私が参考にした史料によると、この兄・島津久徴は、1823年4月13日生まれと言う事なのですが、う~ん?

赤山靭負(赤山靱負久晋)よりも4ヶ月後に兄が生まれていると言う事になります。
兄・島津久徴の母は正室・末川久泰の娘と言う事ですので、島津靭負(赤山靭負)は恐らく側室など、庶子であり、長男でしたが次男扱いになったと推定されます。
なお、桂久武も2人の弟となります。
NHKの大河ドラマ「西郷どん」(2018年)にて、赤山靱負が切腹した際に、弟として登場する島津歳貞がのちの桂久武です。

ともあれ、日置島津家では次男まである程度の特権があり、日置島津家の庶流である赤山家の養子となった赤山靭負は1841年4月8日に小納戸見習行奥小姓に昇進。
1844年7月22日には、江戸にて滞在している間に供目付を兼務することになりました。
また、1846年5月6日には鑓奉行となり、翌年、名越左源太や郷田仲兵衛とに軍役方掛に就任しましたが、西郷吉兵衛の嫡男・西郷隆盛とも親しかったとされています。

なお、父・島津久風は国家老として薩摩藩主・島津斉興に重用されていましたが、この島津斉興が嫡子・島津斉彬ではなく、側室・お由羅の方との間に生まれた庶子・島津久光を次期藩主にと考えます。
しかし、兄・島津久徴と赤山靭負(赤山久普)は、庶子の島津久光ではなく、島津斉興の嫡子・島津斉彬を推し「日置派」を形成すると、田尻務、桂久武らも加わっています。

そして、1849年12月に「お由羅騒動」(高崎崩れ)が勃発します。

島津斉彬擁立派は「藩主・島津斉興の隠居・調所広郷の失脚」策を実行して、薩摩藩の財政再建を訴え、島津久光を擁立しようとしていた調所広郷を江戸にて急死に追い込みます。
島津斉興の隠居には失敗しましたが、更に島津斉彬派は島津久光とお由羅を暗殺しようと計画します。
しかし、情報が漏れます。
そのため、1850年、首謀者13名が切腹となり、連座した約50名が遠島又は謹慎処分となりました。(お由羅騒動、高崎崩れ)
例えば、大久保利通(大久保正助)の父・大久保利世(大久保次右衛門)も連座して喜界島にへ遠島処分となっており、大久保家は収入を約3年間途絶えるに至っています。

この時、中心的人物であった赤山靭負も、このお由羅騒動で切腹を命ぜられ、嘉永3年(1850年)3月4日に切腹しました。
享年27。

大河ドラマ「西郷どん」にて、赤山靱負が切腹した屋敷のロケ地は、知覧武家屋敷の森重堅庭園となります。

森重堅庭園

なお、西郷隆盛の父・西郷吉兵衛は、切腹を命じられた赤山靭負の御用人(家来)であり、介錯をしたとする説があります。



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一方、島津久徴は特に処分を免れました。

1852年に島津斉彬が藩主になると、島津久徴は重用されて主席家老となります。
1858年、島津斉彬の死後は、対立した前藩主・島津斉興の指示を受けた島津豊州家の島津久宝によって、家老職を罷免されます。

この島津久宝は、勤王家・月照の保護を拒否したため、月照を匿っていた西郷隆盛は責任を感じて、共に錦江湾にて入水自殺を図っています。

のち、大久保利通らが新藩主・島津忠義に対して、島津久徴を主席家老へ戻すよう懇願したこともあって、復職を果たしますが、島津久光の公武合体論に反対したため、島津久徴は再び退きました。

文久3年(1863年)、薩英戦争となると、島津久徴は薩軍の総大将を務めています。

島津久徴は明治3年(1870年)1月24日に死去。享年52。

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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