函嶺洞門・函嶺洞門バイパス (箱根・国道1号) と箱根駅伝




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函嶺洞門とは

神奈川・箱根町の塔ノ沢温泉付近にある国道1号の函嶺洞門(かんれいどうもん)は、落石から往来する車などを守る為、道路に接した擁壁を用いて設けたトンネル状の建造物で、1930年(昭和5年)4月に工事を開始して、1931年(昭和6年)10月に完成した。「函嶺」の名前は「箱根」の異名。
当時では珍しい片側が開口し、約170mの鉄筋コンクリート構造6連のロックシェッドで、中国の王宮をイメージして設計されたと言う。
なお、函嶺洞門が完成する前は、早川の対岸へ迂回する道路になっていた。

完成した直後である1931年11月26日に発生した北伊豆地震により、落石が発生した一部損壊したが道路は守り目的を果たしている。

しかし、完成から80年以上経過して老朽化も目立ち、車道幅員も5.8mと狭くて大型観光バスのすれ違いも困難であった。
その為、神奈川県の事業として2007年(平成19年)からバイパス工事に着手し、2014年に完成したことから、2014年2月7日をもって函嶺洞門は通行禁止となり、車道7.25mの函嶺洞門バイパスへ交通を切り替えた。

函嶺洞門は、早川に架かるアーチ型の旭橋、千歳橋とともに、公益社団法人・土木学会から「関東の土木遺産」に認定されており、取り壊しはせずに保存されている。


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箱根駅伝と函嶺洞門

函嶺洞門は、1920年(大正9年)から開催された箱根駅伝 (東京箱根間往復大学駅伝競走) のコースでもあり、第91回大会(2015年)から函嶺洞門バイパスへコースが変更となり、コース距離が約20m伸びる事となった。

函嶺洞門には遊歩道が整備されている為、選手は従来どおり函嶺洞門を通過して、テレビ中継車など関係車両がバイパスを通る案も検討されたが、関東学生陸上競技連盟は「学生の大会でそこまでする必要はないし、選手と車両の分離・合流に危険が伴う」として、選手もバイパスを通過すると言うコース変更となった。
また、距離延長に伴う時間差は3~4秒と予想され、各大学の監督からは「元東洋大の’山の神’柏原竜二が持つ5区の記録を正式記録として残すべき」という声が多かったが、最終的には「陸上競技は正確な距離と時間が原則」として、柏原の記録は参考記録となった。

今回のコース変更に伴い、全区間を自転車で走行して改めて距離を再計測した結果、ほとんどの区間で短くなり、総距離は約800m短かい217.1kmとなった。
蛇行していた道路が直線に整備されたなどが主な理由。
箱根の5区に関しては、函嶺洞門バイパスで距離が20m長くなるはずが23.4kmから、23.2kmへと約200m短くなった。タイム差にして約30秒~40秒程度早くなる計算だ。

しかし、山の神様・柏原竜二が2012年に走った時には、既に200m短かったと言う事も考えられ、2015年、3代目山の神と称される青学大・神野大地の24秒更新は、実質、柏原竜二より速かったのかも知れない。

※距離の再計測は10年毎と定期的におこなっており、次回は2025年の予定。

※「箱根駅伝」は読売新聞東京本社の登録商標です。 

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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