西郷隆盛の家族や両親兄弟など「西郷家」の一覧リスト


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西郷隆盛の父や母、弟や妹ら兄弟、そして3人の妻と子供など、西郷家の家族をまとめてみました。
この一覧リストで、西郷家の家族構成もわかってくるのではと存じます。

西郷龍右衛門(西郷隆充)と西郷きみ

2018年大河ドラマ「西郷どん」にて、西郷龍右衛門(西郷隆充)を演じるのは大村崑さんです。
妻ですが、2018年大河での登場名は、西郷きみとなり、水野久美さんが演じます。
その子が西郷吉兵衛と言う事になります。

西郷龍右衛門(西郷隆充)と西郷きみに関してはこちら。

西郷吉兵衛の妻と子

西郷吉兵衛(さいごう-きちべえ)は、西郷隆盛の父となります。
西郷吉兵衛を演じるのは、風間杜夫さんです。
妻は西郷政子(西郷満佐子)で、1828年に長男・西郷小吉(のちの西郷隆盛)が誕生しました。

西郷吉兵衛と西郷満佐子とは

1832年には長女・西郷琴が誕生。(幼少期:栗本有規さん、のち、桜庭ななみさん)
1833年、次男・西郷吉二郎が誕生。(幼少期:荒井雄斗さん、のち、渡部豪太さん)

1835年、西郷吉兵衛の弟である西郷小兵衛が大山家に養子入りして大山綱昌(おおやま-つなまさ)と改名し、のち大山巌が生まれます。

1838年頃?に、次女・西郷鷹が誕生。(幼少期:原舞歌さん)
1839年、ケンカの仲裁に入った際に、西郷小吉(西郷隆盛)は右腕を負傷。
この年、3娘・西郷安が誕生。

3男・西郷従道は1843年生まれ。(錦戸亮さん)

1845年、西郷隆盛の父・西郷吉兵衛は御勘定方小頭に出世。

1847年には4男・西郷小兵衛が誕生し、のちの西南戦争には兄・西郷隆盛と従軍。
1850年、お由羅騒動
1852年、西郷吉之介(西郷隆盛)は、伊集院兼寛の姉・伊集院須賀(スガ、伊集院 敏、伊集院 敏子とも)と結婚しました。
しかし、7月には西郷隆盛から見て祖父・西郷隆充、9月には父・西郷吉兵衛、11月に母・西郷マサが相次いで亡くなっています。

なお、西郷隆盛らの祖母となる、西郷きみが亡くなったのは1562年とされます。

西郷隆盛

詳しくは別記事にて。

西郷琴

西郷琴も詳しくは別記事にまとめてあります。

西郷吉二郎

西郷吉二郎も別途記事にて詳しくご紹介しています。

西郷鷹

西郷鷹(さいごう-たか)は、西郷隆盛の妹となり、7人兄弟では4番目となります。
誕生年は1837年~1839年頃と推定されます。
西郷隆盛の兄弟は、4男3女なのですが、この兄弟の中で、西郷鷹のことは、よくわかっていません。

嘉永年間頃(1848年~1855年頃)に、西郷鷹は三原伝左衛門と結婚しました。
この時、三原家は薩摩藩の御小姓与(おごしょうぐみ)で、西郷家より上でした。

祖父となる西郷隆充の兄である西郷覚左衛門の妻の名は、三原孫兵衛の娘とありますので、関係があるのかも知れません。
ちなみに、西郷覚左衛門は、1793年に江戸で罪を犯し切腹しています。

西郷鷹(三原鷹)は、安政4年(1857年)に長女を出産しました。
この時、姉・西郷琴と、市来正之丞の夫婦の助けを得ています。
1855年には長男を生んでいたとする説もあるようです。

その後、20代前半となった西郷鷹は、兄・西郷隆盛が徳之島・沖永良部島に流されていた文久2年(1862年)に亡くなり、夫の三原伝左衛門はのち再婚したと伝わります。

西郷安

西郷安(さいごう-やす)は、天保10年(183年9)生まれです。
父は西郷吉兵衛で母は西郷政子(西郷満佐子)となり、兄に西郷隆盛がいます。
西郷家では、3女となり、7人兄弟では5番目で、西郷従道の姉となります。

1856年に、父・西郷吉兵衛の弟である大山綱昌(おおやま-つなまさ)が死去したころ、長男であった大山成美(おおやま-せいみ)と、西郷安は結婚しました。
この大山成美の弟には大山巌と、のち、西郷隆盛の娘・菊草と結婚する大山誠之助がいます。
また、大山成美の妹・大山国子は、有馬糺右衛門の妻となりますが、その娘・ます(松子)が、のち、西郷隆盛の末弟・西郷小兵衛の妻となります。、
ややっこしいですね。
なお、西郷家の実家から大山家は、たった四軒先であったとされます。

西郷安の夫・大山成美は、薩長同盟が成立した2日後に、坂本龍馬寺田屋で伏見奉行らから襲撃された際には、伏見の薩摩藩邸から坂本龍馬を船で逃しています。
大山成美は明治維新後、京都府大参事(副知事)、埼玉県大参事などを務めましたが、明治6年に西郷隆盛が下野すると、同じく鹿児島に戻りました。
しかし、明治9年(1876)2月28日、大山成美は病死しました。享年41。

大山成美の弟・大山巌は、新政府に残っていたため、明治10年には故・大山成美と大山安(西郷安)の子である大山辰之助は敵同士となっています。
そして、大山辰之助は、鹿児島の甲突川(こうつきがわ)にて戦死しました。享年16。
大山成美の弟・大山誠之助は宮崎で降伏し収監されていましたが、釈放されると、明治13年(1880年)2月12日、既に婚約していた大山誠之助(30歳)と、菊草(17歳)は結婚しました。

西郷安は、晩年、大山巌の世話を受けていたようで、大山安子の墓は、東京都杉並区永福町の大円寺にあります。

西郷従道

西郷従道も、もちろん、別記事にて。

西郷桜子

西郷桜子は、西郷隆盛の弟である西郷従道の娘になります。

西郷従道の娘としては、西郷政子、西郷栄子の次に生れた3女ですが、のち貴族院議員の岩倉具張(いわくら-ともはる)と結婚しました。

この岩倉具張は、幕末に活躍した岩倉具視の孫と言う事になります。

岩倉具張が、東京帝国大学に在学していたとき、西郷桜子を妻としました。
1904年2月8日には、長男である岩倉具栄(いわくら-ともひで)が誕生しています。
当時の自宅は、東京市麹町区だった模様です。
しかし、岩倉具張は1905年7月10日に卒業後、12月1日には、志願兵として近衛歩兵第1連隊に入っています。
1910年4月13日に、岩倉具張の父・岩倉具定が死去すると、公爵を即日継ぎ、貴族院議員となりました。
岩倉具張は1芸者遊びが好きで、また、鉄道敷設予定の土地を事前に購入すると言う投機話に乗って失敗し、当時のお金で300万円(現在の貨幣価値で数百億円)もの借金を負いました。

霞が関の自宅も差し押さえられ、以後は岩倉桜子(西郷桜子)ら家族とも別居し、愛人のもとで暮らしたと言います。

西郷小兵衛

西南戦争で亡くなった西郷小兵衛も別ページにて。

西郷隆盛の妻と子

西郷隆盛は生涯で3人の妻と結婚しています。

最初の妻は、1852年に結婚した伊集院兼寛の姉・伊集院須賀(スガ、伊集院敏、伊集院敏子とも)です。
西郷隆盛は24歳、スガは21歳頃と考えられ、お互いの実家は歩いて10分ほどの距離でした。
しかし、西郷隆盛が江戸詰めのなか、鹿児島での西郷家の生活状況は厳しく、1854年頃には須賀を実家が引き取ったため、離婚となります。

伊集院須賀に関して詳しくはこちら。

西郷隆盛の2人目の妻は、奄美大島での島妻である愛加那です。

奄美大島・龍郷(たつごう)の名家である龍家(もと田畑家)の一族、龍佐恵志の娘となります。
母は枝加那(えだかな)です。
本名は「とま」ともされますが、1859年に西郷と結婚したときに「愛」の名を与えられて、愛加那と名を変えました。
日本で普通に言えば「愛子」と言う名前と同じ意味です。

1861年には、西郷菊次郎が生まれ、1862年には娘の菊草(きくそう)が生まれました。

愛加那に関して詳しくはこちら。

3番目の妻は、1865年に結婚した岩山糸(岩山イト)で、西郷隆盛は37歳のときでしたが、糸子(21歳)も再婚です。
西郷隆盛との間に、西郷寅太郎、西郷牛次郎、西郷酉三の子どもを儲けています。
奄美大島からは、西郷菊次郎と菊草も引き取って、西郷糸が養育しました。

岩山糸に関して詳しくはこちら。

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