小谷田勝五郎と藤蔵~東京の生まれ変わり伝説少年


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 関東三大不動として参拝客も多く訪れる、土方歳三の菩提寺「高幡不動」は、もう1つ面白い逸話がある墓石があります。

 それは、小谷田勝五郎と藤蔵にまつわるとても興味をそそる話があります。
 藤蔵は江戸時代の1810年2月4日に亡くなり、高幡不動に藤蔵の墓が現存しています。

 さて、その逸話ですが、下記の通りです。

 武蔵の中野村(八王子市東中野)に住んでい8歳の小谷田勝五郎(1814年生まれ)という少年が、夜中に突然、一緒に眠っている祖母に対して「自分はもとは程久保村(日野市程久保)の藤蔵という子どもで、6歳の時に疱瘡で亡くなった」と話したのです。
 そして、あの世に行ってから生まれ変わるまでのことを語ったので、村では大騒ぎとなりました。

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 程久保村の人間が噂を聞きつけてやってくると、実際に、程久保村にて15年前にあった出来事と状況が酷似していた事も分かり、信憑性を帯びて行きます。
 また、小谷田勝五郎は行ったことがない、程久保村のことを詳しく答えたと言います。
 勝五郎をは程久保村に連れて行くと、街並みはこうではなかったなど、藤蔵が死ぬ前の状況も証言し、8歳の少年が事細かに情報を事前に得られたとは考えにくい事からも、増々、人々は信じました。

 この話は江戸にも知れわたり、国学者・平田篤胤は11歳になっていた小谷田勝五郎を招くと門人に加えて、詳しい話を聞きます。
 そして1822年に「勝五郎再生記聞」という書物を発行しました。

 「本当の名前は藤蔵」
 「昔は程久保村に住んでいた」
 「父親の名前は久兵で母親の名前はおしずという」
 「父親は自分が生まれてすぐ死んだ」
 「自分もすぐ死んだ」
 「だから中野村の母のお腹に入って、また生まれてきた」

 前世を記憶していた勝五郎は55歳まで生き、明治2年十2月4日に死去。
 墓は八王子市柚木の永林寺です。

 なお、明治の作家・小泉八雲も随想集「仏の畠の落穂」にて「勝五郎の転生」を著しており、海外ではロンドンとボストンでも発売されました。

 

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