前原一誠 倒幕運動の志士であり萩の乱の首謀者


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 前原一誠(まえばらいっせい)は、1834年に長門国土原村馬場丁(現・山口県萩市)にて生まれた。
 父は長州藩士・佐世彦七(大組47石)、母の名は<すえ>で、その長男であり佐世八十郎(やさろう)と称していた。

 前原家は、尼子十勇士の1人である米原綱寛(米原左衛門尉広綱)を先祖に持つが、下級武士であった。

 1839年、郡吏に就任した父とともに厚狭郡船木村に移住し、幼少期を過ごした。
 のちに萩にて学問をするが、1851年、再び船木村に戻り陶器製造など農漁業に従事した。
 しかし、前原一誠は落馬で足に障害を負った為、武道を捨てて学問で身を立てる事を決心する。

 1857年10月末、父が御輿奉行となり萩に戻ると、前田一誠(24歳)は吉田松陰松下村塾に入門。
 塾生からも学ぼうとする吉田松陰の姿に感銘している。
 とは言え、家の都合で厚狭郡目出村へ移住した為、吉田松陰から学んだのはわずか10日間であった。

 1858年に吉田松陰が投獄の命を受けると、前原一誠は同友7名とともに、藩の重役・周布政之助の宅に行き、吉田松陰を投獄する不当を責めたが、逆に藩命により1カ月間の閉居を命じられた。

 吉田松陰の処刑後は、藩命で西洋学研究の為、長崎で洋学を学び、のちに藩の西洋学問所・博習堂にて学んだ。

 26歳の時に佐世八十郎から前原一誠と改名。

 1862年に脱藩すると、久坂玄瑞らと共に目付・長井雅楽の暗殺を計画するなど尊王攘夷運動に参加。

 1863年、右筆役に就任。八月十八日の政変後は、都落ちした三条実美らに随行し、七卿の用掛(七卿方御用掛)に就任。

 1864年、下関で英・仏・蘭・米の4ヵ国連合艦隊に応戦した。  
 
 その後、高杉晋作らと下関にて挙兵すると諸隊を勝利に導いて藩権力を奪取し、用所役右筆や干城隊頭取・越荷方などを歴任し、倒幕活動に尽力した。

 幕府の長州征伐では小倉口の参謀心得として参戦し、小倉藩の降伏に尽力。
 明治元年(1868年)の戊辰戦争では北越戦争に出兵し、越後口総督の参謀として長岡城攻略戦など会津戦線で活躍した。

 明治2年 (1869年)、越後府判事となる。

 明治3年(1870年)、戦功を賞されて賞典禄600石を賜っている。

 その後は参議を勤めた。

 大村益次郎の死後は、あとを継いで兵部大輔を兼ねたが、身体が弱く出仕することが少なかったため、船越衛は省務停滞を嘆いている。
 また、大村益次郎の方針である「国民皆兵」路線(徴兵令)に反対し、木戸孝允と対立した。

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萩の乱へ

 やがて、徴兵制を支持する山縣有朋に追われるように、参議を辞職して萩へ帰郷。三条実美や最後は岩倉具視も説得に当たったと言うが揺るぎなかった。
 明治8年には、元老院議官への推挙もあったが、断っている。
 新政府の方針に不満をもった前原一誠は明治9年(1876年)10月24日、熊本城下での神風連の決起を聞くと旧藩校・明倫館を拠点に同志を集め、27日に決起した。
 決起内容としては、上京して天皇に諫奏し、君側の奸を除くというものであり、奇しくもこの日は吉田松陰が処刑されてから18回目の命日であった。
 そして、10月28日、奥平謙輔ら約200名と共に「殉国軍」として挙兵。「萩の乱」を起こした。
 前原一誠の呼びかけに応じ、徳山藩の今田浪江や、坂上忠介・多根卯一らも蜂起した。
 明治政府軍は事前に察知しており、萩で市街戦となったが、県令・関口隆吉を敗走させることに成功。
 しかし、三浦梧楼少将率いる広島鎮台と軍艦・孟春の攻撃を受け、11月6日までに「殉国軍」は鎮圧された。
 この時、前原一誠ら幹部7名は天皇への諌奏のため、東京へ向かうべく船舶に乗船して萩港を出港していたが、悪天候のため宇竜港(現在の出雲市内にあった)に停泊。
 その際、11月5日に島根県令・佐藤信寛らにて逮捕された。

 萩に連行されたあと、萩に特設された司法省萩臨時裁判所の裁判を受け、12月3日、前原一誠は首謀者として萩にて斬首された。享年43。

 墓所は山口県萩市土原の弘法寺。

 なお、奥平謙輔、山田頴太郎、末弟の佐世一清、横山俊彦ら8名も斬首。
 64人が懲役もしくは禁固刑。保免は403人であった。

 西郷隆盛による西南戦争が勃発したのは、萩の乱に遅れること4ヶ月後の明治10年2月である。

 萩の乱には前原一誠ら多くの松下村塾の塾生が関与し、松下村塾の塾頭・玉木文之進(吉田松陰の叔父)は、養子である玉木正誼(乃木希典の弟)も、萩の市街戦で戦死したことから、責任を感じて11月6日に切腹している。

 大正5年4月11日、明治維新前後における勲功により、日本政府は特旨をもって前原一誠に従四位を贈った。

 (参考) 松陰・一誠と萩の乱、Wikipedia

 → 萩の乱にも参加した富永有燐 (富永有隣)
 → 萩の乱で責任を感じ、自決した玉木文之進とは?
 → 花燃ゆ 登場人物の紹介一覧

 

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