坂上忠介【長州藩士】萩の乱にも参加


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 坂上忠介(さかのうえ-ちゅうすけ)は、1818年に生まれた。名は恒、号は寓所、沖所など。

 長州藩士・口羽氏の家臣として、長州藩校・明倫館では中村牛荘に師事した。

 のち江戸に出ると安積艮斎や羽倉簡堂から学び、明倫館教授にもなると、須佐・益田精祥の郷校・育英館の教授にも就任している。
 この育英館は、吉田松陰松下村塾とも密接な関係を保った。

 1862年9月には、常陸笠間の加藤有隣を訪れていた高杉晋作を迎えに江戸藩邸から向かってもいる。

 明治6年に育英館が正式に学校となると、坂上忠介が初代校長に就任し、現在の萩市立育英小学校に至っている。

 明治9年、前参議・前原一誠の萩の乱では、呼応したため、鎮圧されると連座を問われて入獄となった。

 明治23年10月14日死去。73歳。

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