佐藤信寛~長州藩が輩出した県令【安倍晋三総理大臣のご先祖様】


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 佐藤信寛(さとう-のぶひろ)は、長州藩士・佐藤源右衛門(佐藤家・第9代当主)の嫡男として、1815年12月27日に、現在の山口県熊毛郡田布施町にて生まれた。

 長州藩の藩校・明倫館では山県太華から学び、江戸に出ると清水赤城に師事し、長沼流兵学を極めた。
 そして、後輩であり藩の兵学者である吉田松陰に兵要禄を授けている。

 長州藩士としては御蔵元本締役、大検使役などを担当した。
 なお、瀬戸内海に面する田布施町の出身としては伊藤博文などがいる。

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 明治に入ると、初めは浜田県権知事に就任し、のち島根県令などを歴任した。

 1876年11月、前原一誠らが萩の乱を起こした際には、佐藤信寛が県令として前原一誠・奥平謙輔らを逮捕している。
 前原一誠らは、萩から舞鶴に向かう途中、島根県の宇竜港に停泊した際に、捕縛された。

 明治11年(1878年)頃に官職を退くと、熊毛郡麻郷村戎ヶ下(田布施町)の別荘に居を構え、蝦洲と号して多くの詩編や手記を残して、余生を送った。
 別荘には有栖川宮熾仁親王や、伊藤博文らが立ち寄ったと言う。

 明治33年(1900年)2月15日に満84歳で死去すると、田布施・ひろみが丘に葬られた。

 子孫には、政治家として活躍した人物が多く、岸信介・佐藤栄作の兄弟(曾孫)、そして安倍晋三がいる。

 

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