タグ:幕末
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稲葉正邦(いなばまさくに)は、二本松藩主・丹羽長富の七男として、1834年5月26日に生まれた。
嗣子のいなかった淀藩主・稲葉正誼の養子となると、1848年10月に22歳で稲葉正誼が死去したため、12月に家督を…
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高崎佐太郎(高崎正風)-(たかさきさたろう、たかさきまさかぜ)は、薩摩藩士・高崎温恭(高崎五郎右衛門温恭)の長男として1836年7月28日に、薩摩・鹿児島近在川上村(鹿児島市川上町)にて生まれた。
母は新納常善の娘・登…
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中川宮(久邇宮朝彦親王)とは
中川宮朝彦親王(なかがわみやあさひこしんのう)、久邇宮朝彦親王は、伏見宮邦家親王の第四王子として1824年3月27日に生まれた。幼称は富宮。
母は女房の鳥居小路信子。
1836…
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白石正一郎(しらいししょういちろう)は、長門の赤間関竹崎にて萬問屋(荷受問屋、廻船問屋)の小倉屋主人・白石卯兵衛の長男として、1812年3月7日に生まれた。通称は駒吉。または熊之助。号は橘円。
母は艶子。
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吉川経幹(きっかわつねまさ)は長州藩の支藩となる周防岩国領(6万石)の第11代領主・吉川経章の長男で、1829年9月3日に生まれた。通称は監物。幼名は亀之進。
母は家臣・長井元幹の娘・梅(清操院、長井省吾の妹)。
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山尾庸三(やまおようぞう)は長州藩士で村役人・山尾忠治郎の次男(3男とも?)として、周防国吉敷郡二島村(山口市秋穂二島)にて1837年10月8日に生まれた。幼名は富士太郎。
母は山尾末子。
父・山尾忠治郎は…
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石谷因幡守・石谷穆清(いしがやあつきよ)は、幕末の江戸幕府旗本だが、生没年などは不明。
官位は因幡守、後に長門守となっている。
なお、江戸時代の初めに江戸北町奉行を務めた石谷貞清の子孫とされる。
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井伊直弼の正室(妻)である、井伊昌子(貞鏡院)は、丹波亀山藩主・松平信豪の次女として1834年に生まれた。
母は播磨姫路藩主・酒井忠実の娘・采。
初名は松平多喜、その後、貞、昌子と改名している。
184…
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今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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