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江戸時代の後期になる1849年生まれの緋村剣心(ひむらけんしん)の幼名は心太(しんた)。
1858年、9歳のとき、両親を虎狼痢で失い、天涯孤独となると人身売買のヤカラに捕まって売られそうになった。
その際、山賊に襲われて生き残って彷徨っていたところを、1859年、比古清十郎に救われて養育を受けた。
飛天御剣流を習い始めると、その剣の素質に相応しい名と言う事で「剣心」と名付けられたと言う。
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1863、14歳のとき比古清十郎と喧嘩別れすると、高杉晋作の奇兵隊に入隊。
剣術の腕が桂小五郎の目に止まり、以後、京都にて幕府要人の暗殺を行う人斬り役として活動した。
モデルは河上彦斎と言う長州藩士だ。
1864年、斬殺した清里明良の許嫁・雪代巴が復讐の為、緋村剣心に近づくと、お互い引かれ合うようになり7月頃に巴と結婚。
その後、大津にて夫婦生活を送ったが、闇乃武が剣心を襲撃した際、かばった巴を誤って殺害してしまった。
この時、巴が持っていた小刀により、剣心の左頬に二つ目の傷が付いて十字傷が出来たと言う。
二度と人は斬らないと誓った剣心は、京都に戻ると暗殺稼業は志々雄真実に任せて、剣士として幕臣達と戦った。
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1868年、19歳のとき、鳥羽・伏見の戦いの後、桂小五郎の許しを得て脱退。
流浪人としての旅を開始したが、旅の途中で会津戦争に遭遇している。
1877年、東京に姿を現すと来迎寺千鶴と出会う。その後の放浪中には西郷隆盛の西南戦争にも遭遇したようだが、参加はしていないと言う。
1878年、横浜外国人居留地に姿を現し、2月頃、横浜を発った5日後に東京で神谷薫と出会い、神谷活心流道場で暮らすようになり再婚した。
1880年8月、神谷薫との間に長男・剣路が誕生。
1882年8月、明神弥彦に「逆刃刀・真打」を託している。
以上が、るろうに剣心の緋村剣心ですが、漫画での架空の人物です。
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性格はいたって温厚で心優しく、戦闘時には抜刀斉の時に戻ったようになる一面も持ち、過去の所行故に、剣心を恨んでいる人物が多いものの、同時に慕う者も多いと言う設定になっています。
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