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北条時政とは
北条時政(ほうじょう ときまさ)は平安時代末期~鎌倉時代初期の武将で伊豆・北条荘の領主。
2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では歌舞伎役者の坂東彌十郎(ばんどう やじゅうろう)さんが北条時政を演じられる。
平安時代末期の北条氏は伊豆の小さな領主であり、伊豆国守(伊豆掾)伴為房などに従っていた模様。
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北条時政(北条四郎)は1138年生まれで、妻ははじめ伊東祐親の娘、のちに牧の方(大河ドラマでは「りく」)を後妻に迎えた。
子は嫡男・北条宗時、長女・北条政子、北条時子、北条義時、阿波局(大河ドラマでは「実衣」)などに恵まれている。
北条時政は家族思いで武芸にも長たけ武将とされるが、伊豆に流罪となっていた源頼朝が伊東家から逃れて来ると北条時政が「蛭ヶ小島」(ひるがこじま)に屋敷を与えたとされる。
そして、源頼朝は北条政子との間に大姫を儲けた。
1180年、源頼朝の挙兵に北条一族は味方し、伊豆国目代・山木兼隆の館への襲撃にも参加した。
その後、石橋山の戦いの前後に北条時政は使者として甲斐の武田信義のもとを訪問したとされる。
このように北条時政は鎌倉幕府の成立に大きく貢献しており、1185年には源義経追討の総大将として京に入り、鎌倉幕府が守護・地頭を任命する権利を朝廷に認めさせている。
1199年に源頼朝が亡くなると、鎌倉幕府2代将軍・源頼家を抑制し、十三人の合議制を敷いて幕政を担った。
1203年、比企能員を滅ぼすると、3代将軍に源実朝を擁立、大江広元と政所別当として実権を握っている。
1205年、平賀朝雅の讒言(ざんげん)を受けて無実の畠山重忠を二俣川の戦いにて殺害すると、牧の方(りく)と謀り源実朝を殺害して平賀朝雅を新将軍にしようと考える。
そのため、北条政子と北条義時らにより鎌倉から追放されて北条荘に戻り隠棲した。
その後1215年に北条時政は伊豆で死去。享年78。
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願成就院の境内に北条時政の墓がある。
ポイント
源頼朝を流人時代から支え鎌倉幕府に最初から貢献した功労者
源頼朝の死後は北条氏の権力拡大を狙った
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