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冬らしくなり、朝晩が冷え込んでウイルスの侵攻にガクブルする日々を送っているリストクラッチ式ショーイチでございます。
昨年、2022年(令和4年)10月1日。日本のプロレス界の父、力道山さん(日本名、百田光浩)の弟子にして、同期デビューのジャイアント馬場さん(本名、馬場正平)と共に、日本プロレス界の象徴とも言える存在であった、燃える闘魂、アントニオ猪木さん(本名、猪木寬至)が逝去されました。78歳でした。
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これによりBI砲は天国に旅立ち、あまり良い言い方ではありませんが、名実共に雲の上の存在となったのでした。
私は年齢的に、このお三方の試合をリアルタイムで見たことはなく、物心ついた際にはジャイアント馬場さんも亡くなられ、アントニオ猪木さんも引退されて、「1、2、3、ダー!」や闘魂ビンタがモチーフの存在となられてましたので、このお三方の試合を見たのは、雑誌についていた付録のDVDや動画サイト上にアップロードされているモノを拝見した程度なので街頭テレビで力道山対木村政彦の昭和の巌流島決戦や、ジャイアント馬場対ジャック・ブリスコ、もしくはジャイアント馬場対ハーリー・レイスの当時、世界最高峰のタイトルと謳われた、NWA世界ヘビー級タイトルマッチや、ボクシング世界ヘビー級王者であったモハメド・アリさんを日本に招聘して日本武道館で行われ、世紀の凡戦と酷評されたアリと猪木の格闘技世界一決定戦に代表される異種格闘技戦などプロレス史に残る著名な試合は語るほど見たわけではないのでご容赦下さい。
前置きが長くなりましたが、今回は私のペンネームであるリストクラッチ式が意味する通り、日本人初のプロレスラーと言われる、ソラキチ・マツダについてご紹介します。
ソラキチ・マツダこと本名、松田幸次郎(こうじろう。以下、この項ではマツダで通します。)は、1859年(安政6年)に越前国(現在の福井県)で漁師の子として生まれました。この年には、江戸幕府の大老、井伊直弼による安政の大獄があり、前水戸藩主の徳川斉昭が永蟄居を命じられたのを皮切りに、吉田松陰や橋本左内や賴三樹三郎らが死罪に処されました。
そんな幕末の激動のうねりを受けつつ、マツダは東京相撲の伊勢ヶ濱部屋に入門し、荒竹寅吉(あらたけとらきち)の四股名で力士となりました。
力士時代は、序二段まで登り詰めたのち、廃業しました。
マツダは廃業後、1883年(明治16年)にアメリカに渡り、現地でサーカス興行師にスカウトされ、レスラーとしてデビューを果たします。
リングネームはソラキチ・マツダ。
マツダは本名からの引用でしたが、ソラキチというのは力士時代の四股名荒竹寅吉の寅吉の部分が、訛ったからだと言いますが、諸説あるそうです。
2023年(令和5年)の2月21日の東京ドームで引退試合を行う現代のプロレス界のリビングレジェンド(生ける伝説)であるトップレスラーの武藤敬司さんもアメリカで悪の化身、グレートムタになったときに本来は、グレート・ムトウとしてマットを踏むはずが、アメリカ人がムトウと発音することが難しかったため、ムタに変更してデビューしたという逸話が残されているくらいです。
当時のプロレスはカーニバルレスリングと呼ばれ、サーカスの出し物の一つとして、レスラー同士の試合やボクサーとの異種格闘技戦、中には腕自慢の素人の挑戦を受けたこともあったようです。
マツダのデビュー戦については諸説あるようですが、イギリス出身のトップレスラーであったエドウィン・ビビーを相手にデビューしましたが、敗れています。
まあ、当たり前ですよね。
一部の例外を除いて多くのレスラーは、デビューから下積み期間を経て海外に武者修行という形で旅立ち、凱旋したのちにトップレスラーとなるのがプロレス界の伝統です。
デビューから1年経った1884年(明治17年)にマツダはアメリカをサーキット(転戦するのをプロレス界ではそう、言います。)し、多くの対戦相手と勝負を繰り広げています。
この時期にはチャンピオンとなっているようですが、詳細は分かっていません。
マツダの得意技は、力士時代に培った安定した下半身とぶつかり稽古によって会得したぶちかましを応用した頭突きでした。
当時のアメリカ人からしてみれば、この頭突きは未知のモノであったわけで、恐怖以外の何物でもなかったでしょう。
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この技もあり、これからという時期であった1891年(明治24年)8月18日にニューヨークで死去しました。享年32。
レスラーとしても人間としてもまだまだこれから、今が脂の乗った時期だっただけに彼としては悔いの残る生涯であったでしょう。
ソラキチ・マツダが死去してから11年後の1902年(明治35年)、イギリスのミラーオブライフ紙にアメリカのレスラー、ジャック・カーキークの語った記事が掲載されました。
以下がその内容です。
「ジャップのソラキチについては彼の体重を鑑みてもおそらく世界で最も勇敢な男だという認識をしている。」
知られざる日本人初のレスラー、ソラキチ・マツダ。
彼は、現在のプロレス界をどのように見ているのでしょうか。
今回もご覧下さり、ありがとうございました。
次回もお楽しみに。
(寄稿)リストクラッチ式ショーイチ
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