夏目漱石~エリートの地位を捨て小説家になった理由と性格・名言・作品


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夏目漱石(なつめ-そうせき)・・、明治の日本を代表する作家です。
国語の授業で作品を読んだ人も多いのではないでしょうか。
作家としてデビューしたのが38歳の時。
以後、49歳で亡くなるまでの10年間で、多くの名作を生み出しました。

10年……そう、実は漱石の作家人生は10年だけでした。作家になるまでは何をしていたのでしょうか? 今回は彼の人生を紹介しましょう。



不遇の幼少期と親友・正岡子規

夏目漱石(本名:夏目金之助)は、慶応3年(1867)に名主 夏目直克の子として、江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)に生まれました。
8人兄弟の末っ子でした。
漱石は生まれてすぐに古道具屋の里子に出され、さらに翌年には別の家へ養子に出されました。
8歳の時に夏目家に戻りますが、たらい回しにされた幼少期は決して幸せなものではありませんでした。
明治23年(1890)、23歳で帝国大学(現在の東京大学)の英文科に入学し、3年後には首席で卒業をしています。
卒業後は愛媛県松山に中学校の英語教師として赴任しました。
松山は東京大学予備門時代の同級生で親友の正岡子規の故郷でした。
漱石は、病に侵されて故郷で療養していた子規を下宿に呼び、2人はそこで約2ヶ月間同居しました。
句会を開き、俳句を楽しんだこの期間は2人にとって、かけがえのない時間だったに違いありません。

道後温泉本館の3階には「ぼっちゃんの間」と言う部屋も残れさています。

もっとも不愉快な2年間なり

明治33年(1900)、漱石はその優秀な成績が評価され、文部省から英語研究のため2年間のイギリス留学を命じられました。
先進国であるイギリスの文明を日本に移入するために、漱石は国の代表として出発したのでした。

「もっとも不愉快な2年間なり」

イギリス留学を振り返り、漱石はこのように書き残しています。
漱石がイギリスで最初に直面したのは経済的な問題でした。
滞在する下宿料や研究に必要な書物の値段が驚くほど高かったのです。
国からお金が出される官費留学でしたが、十分ではなかったため、漱石は「お金がない」という不安を度々、日本にいる奥さんへの手紙に書いています。
できる限り節約をして研究に打ち込みましたが、資金不足や異国での不自由な生活が祟り、神経衰弱に罹ってしまいます。
2年の期限が終わる頃には文部省が「夏目精神に異常あり、保護して帰朝せらるべし」という旨の電報をイギリスに送りました。
「もっとも不愉快な2年間なり」
こう書き残す一方で、この経験が「余を駆って創作の方面に向かはしめた」とも書いています。
このイギリス留学が夏目漱石という作家を生み出したといってもいいかもしれません。

処女作『吾輩は猫である』が大ヒット

明治36年(1903)に帰国をしますが、イギリスで患った神経衰弱は酷くなるばかりでした。
そんな漱石を見かねて、「気分転換に何か書いてみませんか?」と声をかけたのが正岡子規の弟子で、彼から『ホトトギス』を引き継いだ高浜虚子でした。
明治37年(1904)の夏頃に夏目家に一匹の黒猫がやって来るようになります。
夏目漱石はその猫を主人公にした小説を漱石は書き始め、虚子に見せます。
小説の出来に感心した虚子がそれを仲間内に朗読した所、やはり好評。
『猫伝』というタイトルだったその小説は『吾輩は猫である』と改められ、雑誌『ホトトギス』に掲載されました。
連載の予定ではありませんでしたが人気を博し、12回の連載となりました。
さらに出版もされ、初版は20日ほどで売り切れになりました。
『吾輩は猫である』を発表したことで、漱石の作家としての知名度は上がっていきました。
「漱石山房」と呼ばれた生家に程近い自宅には、漱石を慕う文学者が多く訪れました。
寺田寅彦や内田百閒、芥川龍之介らも集ったその集まりは「木曜会」と呼ばれ、漱石を囲んで文学の話題に花を咲かせました。



漱石は大正5年(1916)に執筆中だった『明暗』を未完のままにして亡くなります。
最期まで『明暗』について話していました。
『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』のようなコミカルな作品の一方で『こころ』のような人の心の闇や孤独・葛藤を描いた作品も多い漱石作品。
そういった作品の土台は不遇の幼少期、そしてイギリス留学といった漱石の体験の全てから成っていたのですね。

ぜひ今一度、漱石の作品に手を伸ばしてみてください。

夏目漱石の死因

夏目漱石は、ストレスに弱く、非常に神経過敏であったとされ、過食や、糖分依存などに陥り、胃腸に負担をかけたと言います。
そのため、胃の消化機能が低下し、腹部の膨大な内出血が発生。
その遠因は胃潰瘍だったとされ、病気に何度も苦しみました。
消化性潰瘍が死因となります。

名言・格言

のどかな春の日を

鳴き尽くし、鳴きあかし、

また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。

その上どこまでも登って行く、

いつまでも登って行く。

雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。

登り詰めた揚句は、

流れて雲に入って、

漂うているうちに形は消えてなくなって、

ただ声だけが空の裡に残るのかもしれない。

主な作品

坊っちゃん、三四郎、彼岸過迄、それから、夢十夜、吾輩は猫である、草枕、二百十日、こころ・・

(寄稿)ゆほ

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