九七式中戦車チハ~静態展示されている静岡・若獅子神社(少年戦車兵学校)

九七式中戦車チハ



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若獅子神社と少年戦車兵学校

若獅子神社(わかじしじんじゃ)は静岡県富士宮市にある神社です。
創建されたのは、昭和59年(1984年)10月と、歴史ある日本での神社としては非常に新しいと言えるでしょう。

若獅子神社(少年戦車兵学校)

太平洋戦争が始まる直前、日本陸軍では戦車部隊増強のため、14歳~19歳の少年の戦車兵育成を開始します。

そして、1942年(昭和17年)に、千葉陸軍戦車学校から分離する形で、静岡県上井出に、陸軍少年戦車兵学校が新設されました。
戦車第21連隊の予定地であり、その設備・資材を使った形でした。(戦車第21連隊は編成されずに、終戦となっています。)


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この陸軍少年戦車兵学校 (りくぐんしょうねんせんしゃへいがっこう)では、教職員は合計1550名、少年兵は延べ4000命が2年かけて学んだとされます。
<注釈> 戦争が激化すると、1年~1年6ヶ月で、繰上卒業が多くなった。
一説によると、入校倍率は55倍だったともされるほか、敷地は約30万坪と広大だったようで、朝霧高原も使って訓練を行いました。
校舎、集会所、軍需工場(材料廠)、車庫、弾薬庫などの建物は約80棟、訓練用の戦車は約80両もあったそうです。
また、ケガもすることから、上井出陸軍病院(国立病院・静岡富士病院)も併設されました。

若獅子神社

なお、出征した少年戦車兵と教職員らのうち、約600名が戦死したと言う事で、その御霊を御祭神とて建立されたのが、若獅子神社と言う事になります。

九七式中戦車(チハ車)

九七式中戦車 チハ は、二本陸軍の主力中戦車で、1938年(昭和13年)~1944年(昭和19年)までに、三菱重工、相模陸軍造兵廠などで、合計2123輌も製造されました。
最初の頃は、中国大陸に主に配備されたようです。

九七式中戦車(チハ車)

チハと言う言葉の意味は、開発段階でのコードネーム(秘匿名称)でして、命名された経緯は下記の通りです。
「チ」と言うのは、中戦車の「チ」を表します。
そのチのあとにつく「ハ」は、イロハの順番で、3番目と言う事で、3番目に設計されたと言う順番を表します。
だいたい2案出して、競わせるため、八九式中戦車を開発した際に、イとロを使用済みです。
九七式中戦車の設計としては、3番目の甲案がチハ車となり、4番目の乙案はチニ車と呼ばれました。
採用されたのは、チハだったと言う事になります。



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甲案(後のチハ車。予定重量13.5トン)、後者を乙案(後のチニ車、

九七式中戦車(チハ車)
全長 : 5.55 m
車体長 : 5.52 m
全幅 : 2.33 m
全高 : 2.23 m
重量 : 14.3 t ※初期の57mm砲搭載タイプ
最高速度 : 38km/h
作戦行動距離 : 210km
主砲 : 九七式五糎七戦車砲(チハ)
副武装 : 九七式車載重機関銃×2
装甲 : 前面25mm、側面25mm~20mm、後面20mm、上面10mm、底面8mm、防盾50mm
ディーゼルエンジン : 排気量2万1720cc
乗員 : 4名

九七式中戦車チハ

例えば、陸上自衛隊の90式戦車は、重量50tと、装甲も厚く、世界水準の戦車です。
しかし、日本の場合「川」も多く、本州も、北海道や九州とは海で隔たれています。
そのため、まず「橋」の強度も問題があり、戦車が重すぎると移動できない地域が出てしまます。
そのため、90式戦車も、北海道の中だけに配備されており、本州や九州などは、10式戦車など軽め設計になっています。
この戦車の重さを軽くすると言う事は、戦車の装甲を薄くすると言う事になり、世界の戦車のほうが頑丈で生存性が高いと言えます。

九七式中戦車チハ

旧日本陸軍の場合、更には、日本国内で戦車を製造しても、その戦車を「船舶」に乗せて、海上輸送しなくてはなりません。
そのため、船で運ぶためにも、重たくでないと言うマイナス面がありました。
すなわち、装甲を軽くするため、防御力をどうしても、低下させるしかないのです。

しかも、九七式中戦車チハの主砲は、57mm砲でして、そもそも、歩兵の支援が主な目的であり戦車戦を想定はしていません。
そのため、太平洋戦争となり、アメリカ陸軍のM4中戦車が登場すると、70m以内まで接近して、徹甲弾を撃たないと撃破が難しかったと考えられます。
M4中戦車の75mm砲によって、日本軍の戦車は、一方的に撃破されることが多くなりました。



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1944年、サイパン島には、戦車第9連隊が配備され、主力30両(九七式中戦車新砲塔チハ1輌、九七式中戦車22輌、九五式軽戦車7輌)が夜襲攻撃を敢行するも、29両が撃破され、1輛のみが生還しています。

硫黄島の戦いでは、戦車第26連隊(西竹一陸軍中佐)のもとに、九七式中戦車(新砲塔チハ)11輌、九五式軽戦車12輌が配備されていました。
しかし、装甲の弱さもありトーチカとして主に待伏攻撃用として運用されるなど、戦車の機動力は生かせなかったとされます。

九七式中戦車チハ

さて、若獅子神社(少年戦車兵学校跡)には、九七式中戦車チハが1両静態展示されている訳ですが、昭和51年(1976年)夏に、サイパン島にて発見された戦車第9連隊所属2両のうち1両が安置されています。
サイパン島にて、95式軽戦車に乗車していた下田四郎さんのご尽力もあり、日本も戻されました。
もう1両は、修復されて、靖国神社の境内にある遊就館にて、見学公開されています。
サイパンの戦いでは、約40名の少年戦車兵が命を落としたとのことです。

九七式中戦車チハ

若獅子の塔にも、丁重に頭を下げ、鎮魂をお祈りさせて頂きました。

現在の若獅子神社がある場所は、少年戦車兵学校の北門に近い場所と言う事でして、南にある上井出小学校付近に、本部があったようです。



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社務所にはトイレがありますが、普段は閉鎖されている様子です。
見学所要時間は5分~10分程度です。

交通アクセス

バスの場合、国立富士病院入口バス停下車して、徒歩約10分です。
駐車場は、民家の脇を抜けて、神社の南側に、駐車スペースがあります。
世界遺産・白糸の滝もほど近くにありますので、セットでどうぞ。

場所などは、当方のオリジナル関東地図にて、ポイントしております。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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