上野彦馬とは~幕末の志士を撮影した日本で初めての写真家

上野彦馬

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「インスタ映え」という言葉をよく耳にする昨今。
フォトジェニックなフードやスポットを撮って、Instagram(インスタグラム)に投稿することが若い女性を中心に社会現象になっています。
日本に初めて写真技術が伝わったのは幕末
当時、国のために奔走していた坂本龍馬などの維新志士の写真を見たことがある方も多いはず。
今回はその坂本龍馬をはじめとした、多くの有名な志士たち撮影を行った上野彦馬の人生を少し覗いてみましょう。

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上野彦馬って誰?

上野彦馬(うえの-ひこま)は天保9年(1838)に父・上野俊之丞、母・伊曽の第五子として長崎の銀屋町に生まれました。
父の俊之丞はガラスの製造や世界地図の製作、さらに絵師や時計細工師などもしていたという、とにかく多才な化学者でした。
出島のオランダ商館にも出入りをしていて、蘭学者たちは長崎に来ると、俊之丞の家を訪ねたといいます。
俊之丞の功績の1つに挙げられるのが、日本で最初の写真技術の輸入。
ちなみに、日本で最初に写真撮影された人物は薩摩藩の11代目藩主・島津斉彬
この撮影をした日が6月1日だったことから、この日は「写真の日」と制定されています・・・が、後になって、実際は別の日だったことが判明してしまいました。
ともあれ、6月1日は「写真の日」ということになっています。

彦馬は安政4年(1857)頃、長崎にあった西洋医学を日本人に教えるための機関である医学伝習所に入門。
ここが彦馬と写真との出会いでした。
オランダ語の教科書の中に「ホトガラフィー」の単語を見付けたのです。
それがきっかけとなって興味を持ち、写真技術の研究にのめり込んでいきました。
しかし当時の日本には写真を現像するために必要な薬品が揃っていませんでした。
彦馬の写真の研究は、その薬品作りから始まるのです。
必要な薬品の1つであるアンモニアは、腐り始めた生肉が付着している牛骨を釜に入れ、煎じ、蒸留して作ります。
その作業で発生する悪臭に近所の住民から苦情が殺到。
当時は牛肉を食べることが禁忌であったこともあり、彦馬の行動は相当怪しかったはず…。
ついには奉行に訴えられる始末ですが、当時の長崎奉行と彦馬が通っていた医学伝習所の外国人教師が親しかったこともあり、事なきを得ました。

日本で2番目の写真館!上野撮影局開業

彦馬は文久2年(1862)に自宅があった中島河畔(現在の長崎市伊勢町)に日本で2番目の写真館を開業しました。
その名も「上野撮影局」。
ちなみに日本で最初の写真館は、上野撮影局開業の前年に、鵜飼玉川が江戸で開業した写真館でした。
写真館を開業したはいいものの、彦馬の怪しすぎる行動を見ていた近隣住民相手に商売が成り立つわけがありませんでした。
さらに当時は「カメラは人の魂を吸い取る」という迷信が信じられていて、写真撮影を怖がる人が大勢いたのです。
そのため、開業後も周囲から「彦馬は人の魂を吸い取る妖術を使ってる!」という悪いウワサが後を絶たなかったのです。
そんな彦馬の写真館を利用した人々がいました。
長崎を訪れた外国人たちです。
彼らにとって写真は珍しいものではなかったので、長崎滞在記念という軽い気持ちで彦馬に写真撮影を依頼しました。
利用した外国人の一人に日本近代化に貢献した、グラバー商会のトーマス・グラバーがいます。
最初は外国人しか利用客がいなかった上野撮影局でしたが、彦馬の腕を認めた日本人客も来店するようになりました。
長崎に亀山社中を設立した坂本龍馬や、奇兵隊高杉晋作、後に首相を務める伊藤博文大隈重信ら維新志士たちです。
志士たちの間で彦馬の評判が広まり、次第に上野撮影局の営業は軌道に乗っていきました。
この頃には弟子入り希望者も現れるようになります。
彦馬は、後に明治天皇の撮影(日本初の天皇の肖像写真)をする内田九一ら、後進の写真家たちの育成にも励みました。

維新後も上野彦馬は写真一筋。
明治7年(1874)には日本初の金星観測を撮影。
西南戦争では従軍して戦地の撮影も行いました。
また、生まれ育った長崎の風景も数多く撮影しています。
上野撮影局は明治22年(1889)にはウラジオストック、その2年後には上海に支店を設け、海外進出も果たしました。



明治37年(1904)に66歳で亡くなるまでに多くの写真を残した上野彦馬。
撮影した写真の総数は把握されていませんが、外国人・侍・力士・芸者・風景など、その被写体のバラエティーの豊かさには驚くばかり。
何と言っても、特筆すべきは維新志士たちの撮影。
私達が坂本龍馬をはじめとした志士たちの顔を知ることができるのは、写真という形で彼らを留めてくれた彦馬のおかげですね。

(寄稿)中みうな

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中みうなWebライター

投稿者プロフィール

歴史学科卒業。専攻は明治の外交・文化、お雇い外国人など。
日本キリスト教史や出島などの長崎の歴史も。
2017年よりライターとして活動。日本の歴史を中心にWebメディアで執筆。歴史初心者の方にもわかりやすく、印象に残る記事を目指しています。

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