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投稿者プロフィール
高田哲哉日本の歴史研究家
高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。
高田哲哉一覧
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木戸孝允(桂小五郎)の解説 長州藩を救った見識家
桂小五郎(木戸孝允)は、1833年6月26日、長門国萩城下呉服町(今の山口県萩市)の萩藩医・和田昌景の長男として生まれた。 その為、最初の名は和田小五郎。 この和田家は毛利元就の7男・天野元政の子孫とされ、母はその後… -
松前ブローウニンの幽閉地と高田屋嘉兵衛~蝦夷・松前の徳山館跡にある史跡とゴローニン事件
高田屋嘉兵衛とは 高田屋嘉兵衛(たかたや-かへえ)(1769年1月1日~1827年4月5日)は、江戸時代後期に蝦夷地・箱館にて活躍した廻船商人です。 もともとはも淡路島の百姓の生まれ、22歳のときに兵庫津にて船乗… -
函館要塞~函館山の砲台跡を訪ねて
北海道函館市にある箱館要塞跡の砲台跡です。 今でこそ、夜景で有名な函館山ですが、明治に入ると函館山は軍事要塞化が進められ、山全体に砲台や発電所、観測所など17の施設や大砲が設置され、1902年(明治35年)に箱館要塞が… -
函館の地名の由来にもなった宇須岸館と河野政通~函館南部陣屋も
宇須岸館 宇須岸館(うすけし-やかた)は、宇須岸河野館、箱館(はこだて)とも呼ばれる館跡です。 土塁と堀を四方に巡らした「方形館」と箱の形をしていたことから、箱館と呼ばれることもあり、函館の地名の由来にもなりまし… -
後藤象二郎の解説 有能な知恵者であった土佐藩士
幕末の土佐藩士で、明治の政治家である後藤象二郎(後藤象次郎、ごとうしょうじろう)について、年表式にて紹介していく。 父は土佐藩士・馬廻格の後藤正晴(後藤助右衛門正晴)。後藤象二郎は長男として1838年3月19日に誕… -
石川啄木って何をしていた人物? 函館・立待岬との関係も
石川啄木(いしかわ-たくぼく)は明治に活躍した詩人・歌人ですので、お名前くらいは聞いたことがあるかと存じます。 しかし、実際にどのような人物で、どのような実績があるのかは?、興味を持った方でないとご存じないでしょう。 … -
五稜郭と箱館戦争とは~蝦夷共和国と幕末ロマンに想いを寄せて
北海道函館市にある五稜郭(ごりょうかく)は、函館を代表する観光スポットのひとつになっています。 そんな五稜郭の成り立ち・歴史と、五稜郭観光がお得にできる攻略情報などを掲載したいと存じます。 久しぶりに五稜郭を訪問… -
松岡四郎次郎とは~蝦夷共和国にて江差奉行と四稜郭を指揮した一聯隊の隊長
松岡四郎次郎(まつおかしろうじろう)は、幕臣の子として江戸にて、幕末の1836年に生まれたとされます。 生い立ちなど詳しいことはわかっていません。 蟠竜丸(ばんりゅうまる)の艦長・松岡磐吉は弟と言う説もあります。…
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