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北里柴三郎(きたざと-しばさぶろう)は、明治から昭和にかけて活躍した医学者・細菌学者です。
特にペスト菌を世界で初めて発見し、破傷風の治療法を確立させるなどの感染症医学の発展に大きく貢献しました。
人類の歴史の中で、もっとも致死率が高かった伝染病があったのですが、その腸内で増殖する病原菌が、ペスト菌であることを発見し、その後の治療法に繋がったと言う事になります。
また、破傷風(はしょうふう)は、ケガなどをした際に、自然界の土壌に存在している破傷風菌(芽胞)が、傷口から体内に入ることで感染する毒素です。
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例えば、戦国武将で名高い井伊直政は、関ヶ原の戦いで鉄砲傷を負いますが、このとき、破傷風になり、数年後に亡くなりました。
北里柴三郎は、破傷風菌の純粋培養に成功し、動物実験にて菌による発症を確認しました。
普通の菌と違い、破傷風菌は酸素を嫌うので、培養が難しかったのです。
そのとき、抗体が作られることを発見し、菌体を少しずつ動物に注射しながら、血清中に抗体を作り出す「血清療法」を開発しました。
現在では、破傷風トキソイドを加えた三種混合ワクチンが、予防接種となっています。
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北里柴三郎の生まれは、熊本県阿蘇郡小国町です。
庄屋の子でしたが、豊後森藩士の娘で江戸にて育った母から、厳しく教育を受けたと言います。
熊本の儒学者・園田保の塾で学んだあと、明治維新を迎えると熊本医学校に入学し、1875年(明治8年)には東京医学校(東京大学医学部)に入りました。
その後、1885年(明治18年)からはドイツ・ベルリン大学へ留学しコッホに師事し、研究を始めました。
それから数年後には、上記で記載した業績を挙げたと言う事になります。
明治24年、日本に戻ると福澤諭吉らが伝染病研究所を設立し、研究所が国立に移管されると、北里柴三郎が所長となりました。
また、日本で最初の結核治療専門病院である土筆ヶ岡養生園(現在の北里研究所病院)を設立し、その後、私財を投じた北里研究所は、現在の北里大学(神奈川県相模原市)に通じています。
その後、 慶應義塾大学医学部を創立すると初代学部長となって福澤諭吉の恩に報います。
更には、日本医師会を設立しては初代の会長に就任すなど、数々の功績を残し、78歳の生涯を閉じるまで予防医学の重要性を提唱しました。
例えば、インフルエンザHAワクチン、はしか風しん混合生ワクチンなど、日本でのワクチン製造を北里第一三共ワクチン(北里研究所の旧技術部)が担っており、多くの人々を感染症から守ってきました。
元号が令和に変わり、新しい1000円札の肖像画に北里柴三郎が検討されていると報道もされました。
お札が変わるのは2024年頃になるようです。
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