過去の記事一覧
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下村善太郎(しもむらぜんたろう)は、前橋の小間物商「三好善」下村重右衛門の子として1827年4月28日に生まれた。幼名は定之丞。
16歳で妻・せいと結婚して下村善右衛門と称し、家業を継いたが、賭博や米相場に手を…
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岩瀬忠震(いわせただなり)は設楽原を治める旗本・設楽貞丈の3男として1818年11月21日に生まれた。字は善鳴、通称は忠三郎・修理。岩瀬肥後守。
麻田藩主・青木一貫の曾孫、宇和島藩主・伊達村年の玄孫であり、男系で伊…
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中原復亮(なかはらまたすけ)は、長州藩・大津郡三隅豊原の農家の子として1843年11月7日に生まれた。
俊応と言う僧侶の長男であったともあり、中原衛門七復亮(中原衛門七)とも言う。
1863年の下関戦争のあ…
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宍戸たまき(ししどたまき、宍戸璣)は、長州藩士・安田直温の3男として1829年4月18日に生まれた。
幼名は安田辰之助。名は子誠、のち敬宇。
妻は清水谷公正の娘・千枝子。
安田辰之助は玉木文之進…
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小倉健作(松田謙三)は、長州藩の藩医・松島瑞蟠の3男として1832年1月8日に生まれた。
兄に松島剛蔵と楫取素彦(小田村伊之助)がいる。幼名は百合熊、字は士健、号は鯤堂または剣槊。
明倫館の学頭を勤めた小倉…
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楠本いね(楠本イネ)(くすもといね)は、長崎の出島で医師をしていたドイツ人医師・シーボルトの娘で、1827年5月6日に長崎で生まれた。
母は楠本瀧(お瀧)で、長崎の薩摩藩御用達の商家にて小間使いとして働いていた。
…
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大浦慶(おおうらけい)は、長崎でも屈指の油問屋を代々営む、大浦太平次と大浦佐恵の娘として1828年に生まれた。
しかし、幕末の頃は安い輸入油に押されてい経営状態も悪くなってきていたところ、16歳のとき、1843…
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吉田松陰は、死の間際に書き残した「留魂録」が残された門下生になんとか届くよう「2通」作成していた。
1通は処刑後、遺体を引き取った1人である門弟・飯田正伯が入手。
写書されるなどし萩の高杉晋作・久坂玄瑞ら主…
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