タグ:幕末
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島津忠義(しまづただよし)は、島津氏分家である重富家・島津忠教の長男として1840年4月21日に生まれた。
母は島津千百子。
お由羅騒動にて薩摩藩第11代藩主となった島津斉彬は、1858年に死去した際、まだ実子が…
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島津久光(しまづ-ひさみつ、島津忠教)は、薩摩藩の第10代藩主・島津斉興の5男として、1817年10月24日に鹿児島で生まれた。
母は側室のお由羅の方(江戸の街娘(町娘))。
このお由羅は、1824年に正室・弥姫が無…
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澤宣嘉(さわのぶよし)は、権中納言・姉小路公遂の五男として1835年12月23日に生まれた。
幼少の頃から才知に長け、和歌・剣術・馬術に優れた若者であったと言う。
17歳のときに澤為量の養子なり、その娘…
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錦小路頼徳(にしきのこうじよりのり)は唐橋在久の子として1834年4月24日に生まれた。
のち、錦小路頼易の養嗣子となっている。
1851年に叙爵を受け、1853年には大和権介となる。
1858年、廷臣…
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東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)は、東久世通徳の子として、1833年11月22日に生まれた。
東久世は久我家が本家の村上源氏であり、岩倉具視の岩倉家と同族の公卿で、蔵米30石3人扶持の下級公卿の家柄であった。
…
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三条西季知(さんじょうにしすえとも)は、三条西実勲の子として1811年2月26日に生まれた。
母は三条実起の長女。
通称銓丸、字は子迪、名は知、変名榎木藤一郎、号は蓬翁。
香川景樹や高松公祐の門人と…
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そもそも長州藩は、なぜ水戸藩同様に早くから徳川幕府の政治に反対を唱える事になったのだろうか?
どうして、幕府のやり方に不満を募らせる事になったのか?をまず調べてみた。
まず、吉田松陰が生まれた次の年である1831…
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尾崎三良(おざきさぶろう)は、尾崎盛之と4男として、1842年1月22、山城国葛野郡西院村(京都市西院)に生まれた。幼名は捨三郎、別名を戸田雅楽とも言う。
母は桃華子。
幼い頃に両親を失くしたようだが、学問…
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今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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