三条西季知とは~国学・和歌に通じた公卿


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 三条西季知(さんじょうにしすえとも)は、三条西実勲の子として1811年2月26日に生まれた。
 母は三条実起の長女。

 通称銓丸、字は子迪、名は知、変名榎木藤一郎、号は蓬翁。

 香川景樹や高松公祐の門人として、国学・和歌を学んだ。

 1858年、孝明天皇のもと権中納言に就任し、長州藩などと交流した。

 1863年、中川宮公武合体派が起こした八月十八日の政変により朝廷を追われ、三条実美壬生基修東久世通禧四条隆謌錦小路頼徳澤宣嘉と長州藩へ落ちた、七卿落ちの1人となった。

 その後、大宰府まで落ち延びると、のちに王政復古の大号令にて許されて、権大納言に復帰している。

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 明治元年(1868年)、皇太后宮権大夫に就任。

 明治維新後は、参与、教部省教導職の長官(大教正兼神宮祭主)などを歴任した。

 また、西四辻公業とともに明治天皇の歌道師範も行っている。

 明治13年(1880年)8月24日没。70歳。

 (参考) Wikipedia

三条実美  尊王攘夷派の公家で明治天皇を補佐した太政大臣
明治天皇とは 明治天皇の功績とその生涯

 

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