タグ:幕末
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伊東甲子太郎とは
よく新撰組の裏切り者扱いをされる「新撰組参謀及び文学師範」の伊東甲子太郎(いとう-かしたろう)。
容姿端麗であったうえに話が上手く、相当な人望があったといわれています。
32歳の若さでこの世を…
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徳川慶喜とは
徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は水戸藩第9代藩主・徳川斉昭の7男として、江戸・小石川の水戸藩邸にて1837年9月29日に生まれた。幼名は七郎麻呂(しちろうまろ)。
母は正室・吉子女王(有栖川宮織仁親王…
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田中愿蔵(たなか-げんぞう)は幕末の水戸藩にて改革派が挙兵した、天狗党の幹部となって一隊を指揮した人物。
水戸天狗党の乱は、筑波山挙兵に始まった。
藤田小四郎(藤田東湖の四男)は、幕府に即時鎖港を要求するため、非常手…
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阿部正弘とは
阿部正弘(あべまさひろ)は、1819年10月16日、福山藩第5代藩主・阿部正精の五男として江戸の西の丸屋敷で生まれた。幼名は正一・剛蔵・主計。称は主計頭・伊勢守。字は叔道・叔卿、号は裕軒・学聚軒。
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近藤勇とは
近藤勇(こんどういさみ)は、武蔵国多摩郡上石原村(現在の東京都調布市野水1丁目)の豪農・宮川久次郎の3男として、1834年10月9日に生まれた。幼名は勝五郎。
父・宮川久次郎には、宮川勝五郎の他に、長…
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勝小吉とは
勝小吉(かつ-こきち)は、江戸時代後期の1802年に生まれた江戸幕府の旗本になります。
旗本・男谷平蔵忠恕の3男として生まれましたが、1808年に、41石の貧乏旗本・勝甚三郎(勝元良)の末期養子となり…
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歴代徳川将軍の中で写真が残っているのは、第15代・徳川慶喜(1837年~1913年)のみである。
「最後の将軍」となった彼は、写真を趣味とし、隠居していた静岡で、自身の姿のみならず多くの作品を残した。
しかし、この世…
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幕末の慶応4年(1868年)、鳥羽伏見の戦いの最終局面で、楠葉台場(くずはだいば)が登場致します。
この楠葉台場にて、果敢に戦った雄の一人に、佐々木只三郎公がおられます。
京都近江屋にて、坂本龍馬公と中岡慎太郎公を暗…
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今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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