タグ:江戸幕府
-
沖田総司とは
沖田総司(おきたそうじ)は、陸奥・白河藩士・沖田勝次郎(足軽頭)の嫡男として、江戸の白河藩邸(東京都港区西麻布)にて生まれた。
生年に関しては、1844年、又は1842年のどちらかと言う説があり、生…
-
石谷因幡守・石谷穆清(いしがやあつきよ)は、幕末の江戸幕府旗本だが、生没年などは不明。
官位は因幡守、後に長門守となっている。
なお、江戸時代の初めに江戸北町奉行を務めた石谷貞清の子孫とされる。
…
-
井伊直弼の正室(妻)である、井伊昌子(貞鏡院)は、丹波亀山藩主・松平信豪の次女として1834年に生まれた。
母は播磨姫路藩主・酒井忠実の娘・采。
初名は松平多喜、その後、貞、昌子と改名している。
184…
-
柏木忠俊(かしわぎただとし)は、伊豆国韮山(静岡県)の出身で1824年3月25日に、代々、江川太郎左衛門家の手代である父・柏木平太郎の3男として生まれた。
柏木総蔵(かしわぎそうぞう)と記載されることも多いが、柏木…
-
岩瀬忠震(いわせただなり)は設楽原を治める旗本・設楽貞丈の3男として1818年11月21日に生まれた。字は善鳴、通称は忠三郎・修理。岩瀬肥後守。
麻田藩主・青木一貫の曾孫、宇和島藩主・伊達村年の玄孫であり、男系で伊…
-
徳川家定(とくがわいえさだ)は、徳川幕府の第12代将軍・徳川家慶の4男として、1824年4月8日に江戸城西ノ丸大奥で生まれた。
母は側室の美津(堅子、本寿院)。
徳川家慶の男子は早世した子が多く、この徳川家定も幼…
-
日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)は、幕末の1858年(安政5年)に、日本とアメリカとの間で結ばれた条約です。
アメリカ側の交渉人はあの、タウンゼント・ハリスさんですね。
条約の…
-
グラバーはイギリス・スコットランド出身の商人で、幕末期に日本に来日すると武器商人としても活躍した人物。
父はスコットランドの沿岸警備隊・1等航海士で、8人兄弟姉妹の5人目として、アバディーン近くの漁村にて1838年…
PAGE NAVI
- «
- 1
- …
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- 12
- »
新着記事
-
今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
-
蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
ページ上部へ戻る
Copyright © 株式会社TOLEDO All rights reserved.