タグ:長州藩
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江戸時代の後期になる1849年生まれの緋村剣心(ひむらけんしん)の幼名は心太(しんた)。
1858年、9歳のとき、両親を虎狼痢で失い、天涯孤独となると人身売買のヤカラに捕まって売られそうになった。
その際、山賊に襲わ…
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佐世元定(福原越後)は、長州藩支藩である周防徳山藩主・毛利広鎮の6男として、1815年8月28日に生まれた。
母の名は不詳。
六男であり家督を継げなかったので、長州藩士・佐世親長(益田就恭の実弟)の養子とな…
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幾松(いくまつ)は、若狭小浜藩士・木崎市兵衛の娘として、1843年に生まれた。
母は三方郡神子浦の医師・細川益庵の娘・末子。
父・木崎市兵衛は、若狭小浜藩主・酒井忠義に仕え、町奉行の祐筆であったが、藩内の事件から…
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三条実美とは
三条実美(さんじょう さねとみ)は公卿・内大臣である三条実万の3男として1837年2月7日に京都梨木町(京都府上京区)にて生まれた。幼名は福麿。三條實美とも書く。
母は正室:紀子、眉寿姫 (土佐藩主…
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NHK大河ドラマ「花燃ゆ」、皆様ご覧になられていますか?
1月18日に第3回の放送となり、吉田寅次郎が伊豆下田で、ペリー提督の黒船に密航しようとするところまで進みました。
第1回で放送された時の年代…
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馬関とは、山日県下関のことで、下関の古い名称である。
赤間関(あかまがせき)を赤馬岡とも書いたことから馬関と称された。
文久3年(1863年)長州藩は覇夷を実行するため、他藩にさきがけて下関海峡(馬…
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育み (はぐくみ) は、武家の家柄などに関係なく、他家の優秀な子などを自分の養子にしたり、その逆で家禄の高い武家の養子になることで、立身出世への道を拓く、長州藩独特の制度。
幕末には時局対応の目的から、優秀な人…
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長州藩医(眼科医)であった山根文季は、矢原村で眼科医として名声高い重宗良策の次男である。名は山根正直とも。
子の小野為八(おのためはち)は幕末の攘夷運動に身を捧げている。
山根文季はは矢原の蔵光で育ち、げん…
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今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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