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安藤百福(あんどう-ももふく)さんは、自宅の庭に小屋を建てて、インスタントラーメンの研究を行い、1958年(昭和33年)に、即席めん「チキンラーメン」を発売した日清食品株式会社の創業者です。
1910年(明治43年)生まれ、台湾の出身であり、幼いころに両親を亡くし、祖父母のもとに預けられると台南市で育ちました。
父の遺産をもとに繊維商社を設立して成功すると、大坂・船場にて会社を設立し、日本で仕入れた製品を台湾に輸出する一方で゛、航空機のエンジンなども製造するなど幅広く事業を手掛けたようです。
太平洋戦争となると、軍用機用のエンジンも製造しますが、部品の横流し疑惑で、憲兵隊にも連行された経験がありますが、無罪で釈放されています。
大坂大空襲で工場などを失い、戦後には百貨店を開業しました。
しかし、食糧不足に困っている人々を見て、製塩事業、そして病人用の栄養食品の開発なども行いましたが、脱税容疑でGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に逮捕され、巣鴨プリズンに収監されています。
2年間法廷で戦い無罪釈放となると、深刻な食糧難を打開するため、アメリカで余っている小麦を使用した「麺」を厚生省に提案しました。
しかし、厚生省はパン食を奨励したため、めんは拒否されましたが、これがのちのインスタントラーメン発明に繋がる契機となりました。
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なお、安藤百福さんが、日本国籍を取得したのは、妻となった安藤仁子の籍に入ったためであり、それまでは、台湾名だったようです。
乞われて安藤百福は信用組合の理事長に就任しますが倒産したため、個人財産のすべてを失い無一文となります。
そして、再起をかけて庭に小屋を建てると、インスタントラーメンの研究を始めました。
妻の安藤仁子(あんどう-まさこ)さんが、天ぷらを揚げているのを見ると、麺を油で揚げたあと、乾燥させる方法を発明します。
そして、約1年の研究を経て、1958年(昭和33年)に、世界で初めて、チキンラーメンと言うインスタント・ラーメンを発売しました。
麺をどんぶりに入れて、お湯を注いで待つだけで、おいしく食べらられると言う利便性の高いチキンラーメンは、たちまち人気商品となります。
そして、日々清らかにと言う意味で「日清食品」と言う会社に名称を変更しました。
ちなみに、日清製粉とは全く関係ありません。
アメリカ人が、チキンラーメンを2つに割って、紙コップに入れて、フォークで食べているのを見ると、カップ麺の開発を進めて、1971年(昭和46年)に「カップヌードル」を日本で発売しました。
特に、1972年のあさま山荘事件で、警視庁の機動隊員らが極寒の中、湯気が上がるカップヌードルを食べている姿がテレビ中継されて、爆発的に売れて行きます。
現在では世界80ヶ国で発売されているカップヌードルの始まりでした。
安藤百福さんは、1982年(昭和57年)に、インスタントラーメンの発明と戦後の日本に新しい食品産業を起こした功績が評価されて、勲二等瑞宝章を受章しています。
生涯現役でしたが、2007年(平成19年)1月5日、急性心筋梗塞のため大阪市立池田病院にて死去しました。享年98(満96歳没)。
アメリカのニューヨーク・タイムズ誌も、社説でその死を悼んでいます。
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この安藤百福さんの奥様が、安藤仁子(あんどう-まさこ)さんと言う事になります。
2018年後期のNHK朝の連続テレビ小説「まんぷく」でのヒロイン・主人公は、安藤仁子さんをモデル・モチーフとしています。
朝ドラでは安藤百福さんが、長谷川博己さん演じる立花萬平となり、安藤サクラさん演じる今井福子(立花福子)が史実での安藤仁子さんと言う事になります。
しかし、安藤仁子さんと言う人物に関する情報は皆無です。
生まれたのは1918年(大正4年)で、亡くなったのは2010年3月17日で、92歳でした。
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