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浪花千栄子さんの解説
浪花千栄子(なにわ-ちえこ)さんは、昭和時代に活躍した大阪の女優さんで、本名は南口キクノ(なんこう-きくの)さんと言う女性です。
大阪府の南河内(富田林市)の東板持町にある金剛山のふもの丘陵にて、庭先で養鶏を営んでいた家に生まれました。
父は、賞も取ったことがある鶏を育てる名人で美男子の南口卯太郎で、母は庄屋の娘で反対される中、結婚した南口キクです。
この辺りは、楠木正成が人気で、楠木家の家紋が「菊水」だったことから「菊野」(南口キクノ)と名付けられたと言います。
養鶏(ようけい)と言うのは、鶏(にわとり)を飼育して、毎日「卵」を出荷したり、鶏肉として卸すなどの農業(行商)をしていたと言う事になります。
母は、弟を産んでから体調を崩して、キクノが4歳のときに亡くなっており、生活は貧しかったようで、小学校に通えず、字が読めなかったと言います。
2ヶ月間小学校に
8歳の時に父親が再婚し、2ヶ月間だけ小学校に行けましたが、継母は嫁入り道具の三味線を昼間から弾いて、家事をせず、家を出たと言います。
継母が戻ってくると、浪花千栄子は、弟と一緒に祖母の家に預けられました。
その祖母の家も、口減らしのため、9歳(小学3年生)のとき、キクノは大阪へ女中奉公に出ました。
道頓堀の芝居茶屋の客が利用する仕出弁当屋「浪花屋」で、働いています。
客の注文を聞いて、決まった時間に、芝居茶屋まで料理を運ぶのが仕事です。
道頓堀五座など、多くの芝居小屋がある道頓堀で、演技に出会い、独学で読み書き勉強して、漢字などを覚えたと言います。
吉本興業を創業した吉本せいが、道頓堀のひとつ裏手にあった路地に「南地花月」を開館したのも、この頃です。
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女優への道
父親がキクノの給料を徴収するようになったため、大阪を離れて京都に降り立つと、口入れ屋(私設の職業紹介所)の仲介にて「カフェー・オリエンタル」にて住み込みで働き始めました。
オリエンタルでは女給(ホステス)として、陸軍の兵隊を相手にするカフェーだったようで、チップが収入源でした。
女優志望の先輩女給のユリちゃんが辞めると、キクヨも辞めて、一時、2人でプロダクションに入っています。
しかし、撮影前に数ヶ月で倒産し、京都の三友劇場で芝居をしていた村田栄子一座を紹介されて、ユリちゃんと共に入りました。
最初は女中仕事をしていたようですが、浪花千栄子は、字が読めないので、舞台を見てそのまま台詞を暗記するのが得意だったようです。
子供に人気の舞台「正ちゃんの冒険」で主役を演じる村田栄子が倒れた際には、セリフが分かることから、代役に抜擢されました。
しかし、本番では、セリフが飛んだため、元気に「冒険」するような恰好をして誤魔化したところ、これがウケたようです。
その後、村田栄子が厳しく当たるのを見かねた三友劇場の主人の紹介で、19歳の浪花千栄子は映画の「東亜キネマ」の撮影所に入りました。
撮影所には20人ほどの女優がいましたが、1926年(大正15年)、山上伊太郎さんの「帰って来た英雄」(主演:髙木新平)にて、準主役(生野初子の役)に大抜擢されると演技を評価され、女優業として忙しくなりました。
時代は世界恐慌が迫り、東亜キネマは経営難となり、女優にもリストラの波が押し寄せます。
素行の悪い大物女優が残っていることを、所長の小笹正人も話を聞かず、納得できなかった浪花千栄子は退職しました。
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そして、独立した市川右太衛門のプロダクションに入るも、仕事開始前に、人気役者・市川百々之助のプロダクションにスカウトされます。
この市川百々之助が「大阪の女優」ということで「浪花千栄子」と言う芸名を授けました。
<注釈> 偶然にも、奉公先だった屋号と同じ「浪花」となった。
数本の映画に出演し、順調に女優業を行いますが、給与未払いなどがあり、市川百々之助を殴って辞めています。
演劇への転向
その後、演劇の道へと進み、1929年(昭和4年)に「新潮劇」に参加し、続いて渋谷天外・曾我廼家十吾らが旗揚げした松竹家庭劇に入りました。
そして、2代目・渋谷天外と結婚し、1948年(昭和23年)からは「松竹新喜劇」の看板女優になっています。
しかし、夫の不倫で、新人女優・九重京子が子を産むと離婚し、1951年(昭和26年)に松竹新喜劇を退団しました。
こうして、女優業からは退いていましたが、NHKのラジオドラマのNHK大阪放送局プロデューサーである富久進次郎さんが、浪花さん捜します。
その結果、浪花千栄子さんは、NHKラジオ「アチャコ青春手帖」に、花菱アチャコの母親役として、なにわ女を好演しました。
このアチャコ青春手帖は、大ヒットし、「アチャコほろにが物語・波を枕に」、そして「お父さんはお人好し」にも出演しました。
花菱アチャコと、浪花千栄子のコンビによる上方人情ドラマは大変人気で、10年続いた長寿番組となり、のち斎藤寅次郎監督により映画化もされました。
下記はTwitterにあった情報を公式な方法で共有表示させて頂いたものです。
おちょやん?浪花千栄子さんがモデルでしょう?
私は映画で見たことしかない。
後は、大塚製薬の看板。オロナイン! pic.twitter.com/36zIb2oDXt
— あうあ (@aua00) November 28, 2020
本名が「なんこう-きくの」さんでしたので、オロナイン軟膏の広告に起用されたと言う逸話があります。
以降も、数々の映画や、大河ドラマ「太閤記」などのテレビドラマにも出演し、溝口健二監督の映画「祇園囃子」では、ブルーリボン賞助演女優賞、その他、第1回NHK放送文化賞なども受けています。
また、京都嵐山の天龍寺の境内にて旅館「竹生」(ちくぶ)」もオープンさせており、自叙伝には「水のように」があります。
1973年12月22日、浪花千栄子さんは、消化管出血にて死去。享年66。
没後に、勲四等瑞宝章を受章しています。
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2020年後期のNHK連続テレビ小説「おちょやん」では、ヒロインの竹井千代のモデルが浪花千栄子さんとなっており、女優の杉咲花さんが演じられます。
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