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古賀政男(こが-まさお)は、昭和期に活躍したの代表的な作曲家です。
出身は福岡県大川市で、1904年(明治37年)に生まれました。
7歳の頃に父が亡くなり、兄・古賀福太郎がいた朝鮮に渡り大正琴などに触れました。
京城善隣商業学校(中学3年)のときに、兄からマンドリンを贈らています。
卒業後は、日本に戻って大阪で商店での仕事につきますが、1923年(大正12年)に、明治大学予科に入学し、ギター演奏も行う傍ら、明治大学マンドリン倶楽部の設立にも携わりました。
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その後、明治大学商学部に進学し、昭和4年にマンドリン倶楽部のコンサートにて、当時の人気歌手・佐藤千夜子が出演しました。
この縁で「日本橋から」「影を慕いて」など4曲を佐藤千夜子が歌ってレコードになりました。
そして、大学を卒業してから2年後の1931年、日本コロムビア専属の作曲家となっています。
同じころ、古関裕而もコロムビアに作曲家として入っています。
日本コロムビアでは、東京音楽学校の学生である藤山一郎と出会い「酒は涙か溜息か」が大ヒット。
更に「丘を越えて」「影を慕いて」と3曲のヒット曲を出し、人気作曲家へと躍り出ました。
1934年、古賀政男はテイチクの専属作曲家となり、1936年に藤山一郎と再びタッグを組むと「東京ラプソディ」など、数々のヒットを飛ばしてます。
1938年には、音楽親善使節となって、ハワイ、アメリカ、アルゼンチンを訪問しました。
アメリカ3大ネットワークであるNBC放送では、「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」など5曲が世界に向けて放送されました。
帰国後、再びコロムビアレコードの専属作曲家に戻っています。
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戦後は、古賀ギター歌謡協会(古賀ギター学院)を設立し、美空ひばりなど有名にも曲を提供し、生涯で作曲した作品は4000曲とも5000曲ともされます。
昭和34年(1959年)、日本作曲家協会を設立し初代会長となり。日本レコード大賞を制定しました。
三波春夫さんの「東京五輪音頭」などもヒットしています。
1978年(昭和53年)7月25日、東京・代々木の自宅にて、急性心不全で死去。享年73。
死後に国民栄誉賞が贈られていますが、これはプロ野球選手の王貞治さんについで、日本人で2番目の名誉であり、音楽家としては初めてでした。
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大川市のゴミ収集車は、古賀メロディーを流しながらゴミ収集に当たっています。
2020年上期のNHK朝ドラ「エール」では、古賀政男をモデルにした木枯正人を、RADWIMPS(ラッドウィンプス)のボーカルである野田洋次郎さんが演じられます。
ちなみに、野田洋次郎さんは中退こそしていますが、慶應義塾大学に入学されていました。
・藤山一郎とは 国民的歌手として長年活躍
・古関裕而 日本人の心に残っている稀代の作曲家【朝ドラ・エールのモデル】
・古関金子(内山金子) 古関裕而の妻 おしどり夫婦に
・伊藤久男 栄冠は君に輝くを歌った歌手
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・野村俊夫 福島三羽カラスと呼ばれた作詞家
・「音丸」船頭可愛やなどのヒット曲で知られる下駄屋の娘
・高橋掬太郎 船頭可愛や 昭和の作曲家
・山田耕筰(山田耕作) 「赤とんぼ」などの有名作曲家の人生
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