女性歌手「音丸」船頭可愛やなどのヒット曲で知られる下駄屋の娘

音丸



音丸(おとまる)は、船頭可愛やなどのヒット曲で知られる昭和初期に活躍した女性歌手です。
本名は永井満津子で、1906年(明治39年)に、東京都港区箪笥町にて生まれました。
家は、老舗の履物屋(下駄屋)でしたが、祖母が常磐津(三味線)の名取りであり、音丸が6歳の頃から常磐津と舞踊を習ったようです。
しかし、歌がうまいことから、17最の頃からは小唄を歌っていました。
25歳の時に弟を亡くし、ノイローゼになりますが、民謡を歌っているうちに、快方に向かうのを感じたと言います。
そして、家にときどき来ていた、尺八奏者の菊池淡水が、リーガルレコードに推薦して、「草津湯もみ唄」のレコードを本名で発売しています。
テイチクに移籍していた古賀政男が、そのレコードを聴いて、自身が作曲した「泪の京人形」の歌手に抜擢しました。
この時、芸者歌手を探していたところ、芸者と同じように小唄や端唄を歌わせても、全く問題ない女性をさがしていたところ、下駄屋の娘である音丸が採用されたと言う事になります。
1934年(昭和9年)にはコロムビアと契約し、本名で「おけさくづし」 「主は国境」などのレコードも出しました。
音丸の芸名は「音は丸いレコードから」という理由で名付けられたようで、レコード会社は、主婦が歌っていることを隠していたと言います。



1935年(昭和10年)には、高橋掬太郎作詞、古関裕而作曲の「船頭可愛や」が大ヒットします。
なお、音丸は楽譜が読めなかったため、古関裕而がピアノを弾きながら、教えたと伝わります。
しかし、音丸はこのヒットで、ファンから「下駄屋の姉御」と声を掛けれることもあったそうです。
1936年(昭和11年)には「下田夜曲」 「博多夜船」が大ヒットし、当時知られた小唄勝太郎や市丸などを上回る人気歌手となりました。
古関裕而が作曲したレコードとしては「大島くづし」「串本そだち」「米山三里」「浜は九十九里」などがあります。

このように、ラジオ出演や映画など多忙になったため、夫とも協議離婚し、実家の下駄屋は他の人に託しています。

のちも弁士の井口静波と再婚しすると、二枚看板で全国に慰問などしました。
太平洋戦争が終わったあとも、全国巡業を続けており、1947年(昭和22年)には高知での興行では、前座を美空ひばりが務めています。

1948年(昭和23年)、キングレコードに移籍すると、以後は民謡の収録が多く、人吉を訪れた際には「五木の子守唄」を見つけて、レコーディングしました。
しかし、ヒットには至らず、コロムビアに戻っています。

1972年(昭和47年)頃からは、目が悪くなり、活動が減りました。
1976年(昭和51年)1月18日、東京都世田谷区世田谷のマンションで倒れ、急性心不全により死去。69歳没。

墓所は品川の天妙国寺で、舟の帆をかたどった「船頭可愛や」の碑があると言います。



2020年上期のNHK連続テレビ小説「エール」では、主人公の古山裕一(モデル古関裕而)(窪田正孝さん)が作曲し、高梨一太郎(モデル高橋掬太郎)(ノゾエ征爾さん)が作詞した、「船頭可愛や」を、ミュージカル女優の井上希美さんが、音丸をモデルにした「藤丸」(沼田松子)として歌います。

古関裕而大全集のCDには音丸の「船頭可愛や」だけでなく、三浦環が歌った貴重な音源も収録されてます。


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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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