古関裕而(こせきゆうじ)の解説 日本人の心に残る稀代の作曲家【朝ドラ「エール」古山裕一のモデル】

古関裕而



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古関裕而(こせき-ゆうじ)は、夏の全国高校野球選手権大会の歌「栄冠は君に輝く」や、阪神タイガース「六甲おろし」などで知られる、1909年(明治42年)生まれで福島市出身の作曲家です。
2020年上期のNHK朝ドラ「エール」での登場人物と合わせて、ご紹介してみます。
古関裕而の名前は、ドラマでは古山裕一で、俳優の窪田正孝さんが演じられます。

古関裕而(朝ドラでは古山裕一)の生まれた家は、福島県福島市大町にあった呉服店「喜多三」(きたさん)でした。
お店の名前ですが、ドラマでは「喜多一」になっています。
父親(ドラマでは唐沢寿明さん)が音楽好きで、まだ珍しかった蓄音機にてレコードを聴いていたと言います。
そのためか、幼い頃から音楽が大好きで、小学校に通っていたころには、独学で楽譜を読めていたと言います。
先生の遠藤喜美治(ドラマでは森山直太朗さん演じる藤堂清晴)が、音楽好きだった影響もあり、作曲に夢中になっていきました。
近所にはのち作詞家となる野村俊夫(5歳年上)(ドラマでは乃木大将と呼ばれる村野鉄男)もいました。
なお、子供の頃から「どもり」があったのも事実です。



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尊敬する山田耕筰が著した作曲法の本を読んで学び、ハーモニカをいつも携帯しながら、作曲をする日々を送りました。
ちなみに、山田耕筰(役名・不明)は、故・志村けんさんが、演じられ、収録分は朝ドラで放送予定です。
やがて古関裕而は、旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に通うと、在学中に実家の呉服屋が倒産しましたが、古関は音楽仲間と活動しており、作曲・編曲・指揮を担当もしました。

高校卒業後は、現在の東邦銀行・川俣支店で働くようになりましたが、仙台にて青葉音楽院を主宰していた作曲家・金須嘉之進の指導を受けたと言います。
この金須嘉之進(きす-よしのしん)は、ロシアの作曲家であるリムスキー=コルサコフの弟子です。

そして、1929年(昭和4年)に転機がやってきます。
前年(昭和3年)の1月からロンドンの「チェスター楽譜出版社」が発行する音楽雑誌『チェスターリアン』を、定期購読しており、管弦楽作品の懸賞募集の記事を目にします。
そして、5曲ほどの組曲を応募しました。
すると、管弦楽のための舞踊組曲「竹取物語」が、コンクールにて作曲家協会の2等に入賞し、翌年に英国コロムビアからレコード発売される予定にもなりました。
日本人初と言える国際的作曲コンクールでの入賞となり、福島民友や、東京日日新聞など、当時の新聞でも大々的に報道されたと言います。
入賞の賞金は4000円で、シベリア経由でイギリスに渡って自ら「竹取物語」の指揮をして、レコード化する予定でした。
その後、古関が憧れるフランス在のストラヴィンスキーに弟子入りする予定になったと言う5年計画でした。
ただし、イギリス留学は実現せず、竹取物語の楽譜は所在不明で、どのような旋律だったのかは、わかっていないようです。



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さて、新聞報道で知った、愛知県豊橋市出身の内山金子(きんこ)さんが、熱烈なファンレターを送った縁で、古関裕而が豊橋を訪れるなどして、翌年1930年に、古関裕而(20歳)と、金子(18歳)は結婚しました。
内山金子さんですが、NHK朝ドラエールでは、二階堂ふみさんが演じる関内音となります。
イギリス留学が取りやめになったことで、古関裕而はビクターに譜面を郵送しましたが「せいぜい勉強しなさい」と断られたそうです。
その後、コロムビアに譜面を送ると、文芸部長・米山正さん(朝ドラでは廿日市誉)(作曲家・米山正夫の父)が、コロムビアの顧問で専属作曲家の山田耕筰に相談しました。
古関裕而は尊敬する山田耕筰に、何回か手紙を出して、譜面などをみてもらっていた過去があり、山田耕筰は「これは見込みがある」と答え、古関裕而は、月給200円でコロムビア専属の作曲家となり、夫婦で上京し、東京・阿佐ヶ谷にある金子の姉・富子の家に部屋を借りました。
東京では、菅原明朗(ふかい-しろう)に師事し、若手作曲家の橋本國彦らと親交を深め、昭和6年4月から、妻の金子が帝国音楽学校に通う事になり、学校に近い世田谷代田に引っ越してます。
また、交流していた福島県本宮市出身の伊藤久男も帝国音楽学校へ通っていましたが、伊藤の下宿が近所だったため、古関の家にはよく遊びに来ていたと言います。
この伊藤久男は、朝ドラの小学校時代に、県会議員の子として登場していた、役名・佐藤久志(山崎育三郎さん)になります。

1931年には、早稲田大学の「紺碧の空」を作曲。
しかし、コロムビアに入っても、ヒット曲に恵まれず、2年後に、契約解除の危機になります。
このとき、古関夫妻は、コロムビアの文芸部長である米山正の自宅に出向いて、熱意を伝えると、契約終了は免れましたが、給料は半額に減らされたそうです。
結果的に、約4年間、ヒットに恵まれず、25歳のとき(1935年)には、作詞家の高橋掬太郎と、どこか取材旅行をしてヒット・ソングを作ろうと、水郷の潮来(いたこ)を訪問し作曲しました。
これが「利根の舟唄」で、入社して初のヒット曲となりました。
翌年の26歳のときには、再び高橋掬太郎とのコンビで「船頭可愛や」(歌:音丸)が大ヒットしています。
船頭可愛やは、三浦環も歌い青レーベルにて発売されたほか、後年、都はるみもレコードを出しています。
1936年には、阪神タイガースの応援歌となる「六甲颪」を作曲しました。



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やがて、日本は戦争への渦に突入するなか、古関裕而は「露営の歌」「暁に祈る」といった数々の名作を残していますが、哀愁ある旋律の曲が多くなり、終戦後は、自分の作品を聞いて戦地にて亡くなった人々のことを思い、他の作曲家同様に自責の念にかられたと言います。
そして、戦後は、ラジオやテレビの主題歌などで一世を風靡しました。
また、高校野球大会歌『栄冠は君に輝く』『フランチェスカの鐘』『ドラゴンズの歌』『君の名は』『高原列車は行く』『闘魂こめて』、1964年開催の東京オリンピックの開会式に鳴り響いた『オリンピック・マーチ』も古関裕而が作曲しました。

「ドカベン」挿入歌「ああ甲子園」

NHKスポーツ中継の際に最初に流れるテーマ曲「スポーツショー行進曲」も、皆様、お馴染みですね。
※アレンジは加わっています。

上記の曲を聴きますと、懐かしさもこみ上げて参ります。

また、古関裕而は、小学校・中学校・高校・大学といった全国300校以上の校歌も含めて約5000曲と、たくさん手掛けていますので、身近なところにも古関裕而の音楽があるのが特徴です。

いつもふる里の吾妻山や信夫山、阿武隈川を思い出して作曲していたと言う古関裕而の優れた才能が評価されて、昭和44(1969)年には、紫綬褒章を受章しました。



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奥様、古関金子は1980年にガンにて死去しましたが、1988年には、ふるさとの福島市に「福島市古関裕而記念館」がオープンしています。

1989年(平成元年)8月18日、脳梗塞のため聖マリアンナ医科大学病院にて死去。享年80。

2020年4月からは、NHKの朝ドラ「エール」では、昭和という激動の時代に人々の心に寄り添う曲の数々を生み出した作曲家と妻の物語として、古関裕而をモデルにしたドラマ内容となります。
前述したとおり、主人公・古山裕一を演じられる俳優は窪田正孝さんとなります。
また、東日本大震災から10年経過となる、2020年の東京オリンピックの聖火は、福島市からスタートされる予定です。
※聖火リレースタートは、新型コロナウイルス感染拡大により、中止(延期)となりました。

コロムビアレコードから発売されている古関裕而大全集のCDには、音丸の「船頭可愛や」だけでなく、三浦環が歌った貴重な音源も収録されてます。

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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