古関金子(内山金子)  古関裕而の妻 おしどり夫婦に

古関金子(内山金子)

古関金子(こせき-きんこ)さんは、旧姓を内山金子と言いますが、明治45年(1912年)に愛知県豊橋市で生まれました。
父は内山安蔵、母・みつとの3女になります。

父の仕事は、豊橋市にある陸軍第15師団に物資を納入する業者でした。
しかし、内山金子が12歳の時に父が死去し、そのあとはき母が家業をしながら、長兄と女6人姉妹を育てたと言います。
おそない頃より、金子は活発な女性(お転婆)だったようで、音楽と文学が大好きで、オペラ歌手を目指すようになります。



金子は、1928年(昭和3年)に豊橋高等女学校(豊橋東高等学校)を卒業すると「女人芸術」に参加して、中部地方委員になりました。

そのころ、満州で事業をしていた兄・内山勝英を訪ねて大陸に渡りましたが、日本に帰国する際に、乗船した客船が、座礁して沈没しました。
このとき、金子は辛くも九死に一生を得ています。

1930年(昭和5年)1月「福島の無名の青年が国際作曲コンクールで入賞」という新聞記事を読み、素晴らしい人がいるものだと感心します。
そして、金子はすぐにその青年に手紙を書きました。
その青年が作曲家の古関裕而です。

この頃、内山金子は名古屋で雑誌編集などの仕事をしていたようですが、4ヶ月ほど文通を続けると、互いに恋心が芽生え、豊橋まで古関裕而が会いにきたと言います。
そして、古関裕而が福島に返る際に、内山金子はそのままについて福島に行き、結婚しました。

日本コロンビアの招きで夫婦で東京に出ると、世田谷代田に住んだ際に、当時近くにあった帝国音楽学校に金子は通い、ベルトラメリ能子(よしこ)に師事し、本格的に声楽の勉強を始めました。
長男(古関正裕さん)が生まれると、声楽は辞めて主婦に専念したようです。
ただし、戦前にはオペラにも出演したと言います。

戦後には、1958年から「婦人文芸」に参加し、詩や随筆を寄稿しました。
晩年の1961年には、古関裕而と共にヨーロッパ・中近東へ海外旅行もしましたが、1980年(昭和55年)7月23日、乳がんが全身に転移し古関金子は死去しました。享年68歳。



古関裕而と妻・金子(きんこ)夫妻の朝ドラ実現を巡り、福島市や豊橋市などは2020年の東京五輪・パラリンピックに合わせたドラマの実現を目指して要望を続けてきました。

その結果、2020年4月からのNHK朝ドラ「エール」にて、古関裕而と金子の夫妻の物語がドラマとして放送されることが発表されていますので、楽しみですね。

古関金子(内山金子)  古関裕而の妻 おしどり夫婦に
エール~キャスト・出演者一覧リスト【NHK朝ドラ】

 

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