横井庄一 28年間ジャングルで生き延びた世界大戦(太平洋戦争)

横井庄一



横井庄一(よこい しょういち)-1915年(大正4年)3月31日~1997年(平成9年)9月22日-
愛知県海部郡佐織村(現在の愛西市)出身
大日本帝国陸軍にて、1935年~1939年、第一補充兵役
1942年~1945年、再召集

1945年8月14日、日本軍は英国首相・米国大統領・中華民国主席の名によるポツダム宣言を受諾。同年8月15日、日本軍の無条件降伏が発令され、太平洋戦争(第二次世界大戦)は終結。

しかし、その後もまだ戦い続けていた日本兵がいた。グアム島にて、歩兵第38連隊に配属されていた下士官の横井庄一(配属時の階級は陸軍伍長)と、同じく下士官の志知幹夫(陸軍衛生伍長)、軍属の中畠悟(海軍軍需部工長)である。



横井氏ら3名は、日本の敗戦と戦争終結の事実を知らぬまま、グアム島で現れることのない敵との戦闘を継続。それから、約28年の歳月を経て、1972年(昭和47年)に横井氏は帰国したが、残念ながら、志知氏と中畠氏は生きて祖国への帰還は叶わなかった。

今回は、1972年まで戦闘を継続した横井庄一氏のグアム島での28年間の壮絶な戦いと、その後の人生に迫ってみたい。

最終階級は陸軍軍曹

1997年(平成9年)9月22日、心臓発作により、満82歳没

第二次世界大戦終結とグアム島でのゲリラ生活

1935年(昭和10年)、愛知県豊橋市にある洋服店で勤務していた横井庄一氏は、満20歳となり徴兵検査の後、第一補充兵役に編入。そして、召集された横井氏は帝国陸軍へ入営し、4年間の軍務に服した。

兵役を勤めあげた後、故郷に還った横井氏は洋服の仕立て屋を開く。当時の横井氏は寝る間も惜しみ、懸命に働いていたという。

しかし、1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争勃発。横井氏にも再召集の知らせが届く。当時27歳であった。

出兵した横井氏は、満州での3年間の軍務の後、1944年(昭和19年)より、グアム島に歩兵第38連隊・陸軍伍長として配属される。主に、飛行場を造る任務に従事していたが、同年7月、アメリカ軍のグアム島上陸作戦による攻撃によって、グアム守備隊は壊滅。

そして、8月にはグアム島の戦いにおいて、他の戦死者と共に横井氏も戦死扱いとなり、戦死広報も届けられている。部隊壊滅後にも、山中に撤退していた一部の生き残りの将兵はゲリラ戦を展開していた。横井氏もその一人である。



翌年の1945年(昭和20年)、太平洋戦争は終結したが、その事実を知らされないまま、横井氏らはグアム島のジャングルで、ゲリラ生活を送ることとなるのだった。横井氏は敵に発見されぬよう、志知氏、中畠氏と共にジャングルの奥深くに潜伏し、警戒しながらの生活を送り続けた。戦争が終わったことを知らない三人の戦いは、まだ続いているのだ。気の休まる暇もなく、いつ現れるかわからない敵に備えて生き抜いていかなければならなかった。

戦友との別れ

ジャングルでのサバイバル生活では、食料を確保することが何よりも重要である。戦中・戦後の非常に貧しい時代であったとはいえ、日本での日常生活では、働きさえすれば何とか最低限の食料を手に入れることはできる。しかし、ジャングルではそうはいかない。何もかも自力で調達する、自給自足で生きていかなくてはならなかった。

カエルなどの小動物や木の実といった、大自然に生息する、さまざまな動植物を食料にしながら三人は生き抜いていく。自ら火を起こし、生活のための道具まで作り、貴重なタンパク源を確保するために動物を捕らえる罠も仕掛けるなど、あらゆる困難を乗り越えて生き延びていくのだった。まさにサバイバルである。

そんな中、グアム島の戦いで山中に逃げ込み、行方がわからなくなっていた日本兵に向けて「日本は敗戦した」という手紙が、上空から投下されたことがある。しかし、その手紙を読んだ横井氏は、日本の敗戦を信じなかった。敵の罠だと思い込み、その後もサバイバル生活を続けるのであった。

地に穴を掘り、身を隠しながらの生活を続けていた横井氏ら三人であったが、そんな生活も19年を迎えた1963年のことである。横井氏はついに、グアム島を脱出する計画を考案する。イカダを作り、海から脱出して日本に帰還するという計画であった。

しかし、ジャングルを飛び出し、目にしたグアムの光景は、横井氏らの想像を絶するものであった。終戦から19年という歳月を経て、グアムはリゾートや観光地としての開発が進み、驚くほどの発展を遂げていた。

その光景を目の当たりにした横井氏らは、敵軍の要塞化が進んだのだと思い違いをしてしまう。これでは脱出は不可能だと思い、希望を失ってしまうのであった。これが原因となり、横井氏ら三人は仲違いし、散り散りとなってしまう。それからの横井氏は、仲間と離れ、洞穴での孤独なサバイバル生活を送ることとなる。



そして、その翌年、グアム島を非常に勢力の強い台風が襲った。その影響により、まともな食料はおろか、飲み水さえも得にくい状況となってしまったのだった。それから横井氏は、別れた二人の仲間を捜したが、志知氏と中畠氏は亡くなっていた。絶望の底にいる横井氏であったが、二人の遺骨を日本に持ち帰るという思いを抱き、その後も独り戦い続けるのであった。

横井庄一の帰還とそれからの人生

グアム島へ派遣され、ジャングルでのゲリラ生活を余儀なくされるなどがあり、28年の歳月を経た、1972年(昭和47年)1月24日。横井氏は、川にエビやウナギを獲るための罠を仕掛けに行った際に、現地で鹿猟をしていた住民に発見される。それから、現地での取り調べの後、同年の2月2日に日本へ帰国することとなった。当時、横井氏は満57歳。満州への出兵から、じつに31年ぶりの祖国への帰還である。

飛行機で日本に降り立ったとき、横井氏の姿と、志知氏と中畠氏の遺骨も共にあった。羽田空港で出迎えた斎藤邦吉厚生大臣に対し、横井氏は「何かのお役に立つと思って、恥をしのんで帰って参りました」と伝え、記者会見でも「恥ずかしながら、生きながらえておりました」といった発言を残している。

それからしばらく、日本では横井氏の帰還がメディアでも大きく取り上げられ、一躍時の人となった。国民から注目され、気の休まる間もなかった横井氏であったが、帰国から半年後、幡新美保子さんとの縁談から結婚に至る。

何かと世間の関心を集めていた横井氏は、帰国後は評論家として、全国各地を巡り講演を行ったり、雑誌などのインタビューを受けたりといった日々を送っていた。しかし、戦争の傷跡を忘れつつある日本で、帰国直前までグアムのジャングル奥地で戦い続けてきた横井氏にとって、自分の記憶とは大きく変わってしまった祖国の文明や生活に戸惑いもあった。そんな横井氏を、美保子夫人は支え続けた。



その後、時代も移り変わり、横井氏へのマスコミからの扱いや報道も徐々に終息していく。落ち着いた生活を取り戻していった横井氏であったが、1997年(平成9年)9月22日、心臓発作により、満82歳で永眠した。

(寄稿)探偵N

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高田哲哉日本の歴史研究家

投稿者プロフィール

(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上、歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して史跡も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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