花森安治の天才編集者としての人生とは【とと姉ちゃん・花山伊佐次】


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2016年度前期放送予定のNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の後半に登場する重要人物である花山伊佐次のモデル「花森安治」(はなもり-やすじ)と言う人物を調べてみました。

花森安治は、1911年(明治44年)10月25日に兵庫県神戸市にて誕生しました。
神戸市立雲中小学校の同級生に、小説家として知られる田宮虎彦がいます。

旧制・兵庫県立第三神戸中学校から旧制・松江高等学校に進学すると、1932年12月には校友会雑誌の編集責任者にもなっており、後年、編集者としての出発点がここであったと語っておられます。なお、のちに日本読書新聞編集長になる田所太郎も一緒に学んでいました。

上京して東京帝国大学の文学部美学美術史学科に合格すると、東大でも扇谷正造、岡倉古志郎、杉浦明平、田所太郎らと学生新聞の編集をしていました。
1935年に卒業すると、伊東胡蝶園(パピリオ)に入社し宣伝部に配属され、広告デザインを担当し、化粧品の広告では、手書き文字にて語りかけると言う個性的なスタイルを確立しています。

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太平洋戦争が始まると召集されて満州にて戦いますが、病気になって除隊となり帰国すると、大政翼賛会の外郭団体にて宣伝の国策広告の業務を行いました。
この時、大政翼賛会と新聞3社による「国民決意標語」の募集では「欲しがりません 勝つまでは」のスローガンを公募作から選んでいます。

戦後に日本読書新聞でカットの仕事をしていた花森安治ですが、戦争加担への反省もあり、ひとりひとりの自分の暮らしを大切に生きて欲しい、また戦争のない平和な世の中にしたいとと言う願いからも、1546年(昭和21年)3月に大橋鎭子と共に東京銀座にて衣装研究所を設立し、雑誌「スタイルブック」を発刊します。
のち花森安治は「ぼくは(戦犯の)執行猶予にしてもらっていると思っている」と週刊朝日の記者に語っています。

そして1948年9月20日、大橋鎭子と生活雑誌「美しい暮しの手帖」(のち「暮しの手帖」に改名)を創刊しました。
大橋鎭子の妹である小橋晴子(横山晴子)、大橋芳子も雑誌に協力しています。

暮しの手帖、消費者の立場に立って、商品の提案や、市販されている製品の使用実験を行い評価すると言う雑誌で、花森安治はどの号でも、自ら取材して写真を撮影しました。
また、画才にも恵まれた花森安治は、原稿を書いてはカットも描いてレイアウトも行い、更には表紙の絵、新聞広告のデザイン、ポスター制作まで、なんでも行ったと言います。

また、広告を載せないことで、メーカーへの配慮なども無縁で、中立性が保たれた、企業広告が一切無い雑誌として、今でも発行されています。
商品テストの記事では、良い所は褒め、悪いことは悪いと、実名をあげており、企業にも政府にも、はっきりと消費者の立場から物を行ったことで、日本製品の品質向上に一役買ったとも言えるでしょう。

男性でありながら、おかっぱ頭であり、またスカートを履いて仕事をしていたように、豪放な性格でもあり、数々の逸話を残した天才編集者でした。
ある女性議員が対談した際には、最後まで花森安治の事を女性だと思い込み「お互い女性のために頑張りましょう」と握手までして帰ったと言う逸話もあります。

花森安治は、1978年(昭和53年)1月14日に心筋梗塞にて死去しましたが、2日前まで記事を書いていたそうです。

享年66歳。編集者、グラフィックデザイナー、ジャーナリストとして、親から子へと読み継がれていく雑誌を立ち上げたと言う、一世を風靡した人生だったのではないでしょうか?

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