過去の記事一覧

  • 広岡正秋(広岡久右衛門正秋)  あさが来た加島屋の9代目当主

     広岡正秋(広岡久右衛門正秋)は、広岡信五郎の弟で1844年生まれ。  広岡家は、大阪の玉水町(大阪市西区土佐堀通)にて、米問屋と両替業を兼営していた「加島屋広岡家」。  堂島米市場の重鎮として、徳川幕府や諸藩の財用…
  • 東久世通禧 兵器に精通し北海道開拓にも尽力した公卿

     東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)は、東久世通徳の子として、1833年11月22日に生まれた。  東久世は久我家が本家の村上源氏であり、岩倉具視の岩倉家と同族の公卿で、蔵米30石3人扶持の下級公卿の家柄であった。 …
  • 三条西季知とは~国学・和歌に通じた公卿

     三条西季知(さんじょうにしすえとも)は、三条西実勲の子として1811年2月26日に生まれた。  母は三条実起の長女。  通称銓丸、字は子迪、名は知、変名榎木藤一郎、号は蓬翁。  香川景樹や高松公祐の門人と…
  • 長州藩や薩摩藩が倒幕に傾むいたその背景・財力・借金は?

    そもそも長州藩は、なぜ水戸藩同様に早くから徳川幕府の政治に反対を唱える事になったのだろうか? どうして、幕府のやり方に不満を募らせる事になったのか?をまず調べてみた。 まず、吉田松陰が生まれた次の年である1831…
  • 江戸時代の武士は何を学んだのか? 武士の学問

     今回、コメント欄から高橋様よりご質問を賜りました。  ご質問の趣旨は、江戸時代に幕府に仕えた武士、すなわち「旗本」などが何を学んだのか?と言う事でして、お調べしてみました。  私も、江戸時代を含むあとの時代…
  • 尾崎三良とは 総裁・議定・参与の三職を考案した英傑

     尾崎三良(おざきさぶろう)は、尾崎盛之と4男として、1842年1月22、山城国葛野郡西院村(京都市西院)に生まれた。幼名は捨三郎、別名を戸田雅楽とも言う。  母は桃華子。  幼い頃に両親を失くしたようだが、学問…
  • 稲葉正邦とは 淀藩主で京都所司代・幕府老中

     稲葉正邦(いなばまさくに)は、二本松藩主・丹羽長富の七男として、1834年5月26日に生まれた。  嗣子のいなかった淀藩主・稲葉正誼の養子となると、1848年10月に22歳で稲葉正誼が死去したため、12月に家督を…
  • 高崎佐太郎(高崎正風) 武力討伐に反対した薩摩藩士

    高崎佐太郎(高崎正風)-(たかさきさたろう、たかさきまさかぜ)は、薩摩藩士・高崎温恭(高崎五郎右衛門温恭)の長男として1836年7月28日に、薩摩・鹿児島近在川上村(鹿児島市川上町)にて生まれた。 母は新納常善の娘・登…

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