過去の記事一覧
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ヒュースケンとは?
ヘンリー・ヒュースケンは1832年にオランダのアムステルダムで生まれた。
父は石鹸製造業で、ヒュースケンが21歳の時、家族でアメリカに渡り、アメリカ国籍を取った。
タウンゼント・ハリスが…
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岩倉具視(いわくらともみ)は、1825年9月15日、公卿(権中納言)・堀河康親の次男として京都にて生誕した。
母は正室・勧修寺経逸の娘。
幼い頃から異彩を放っており、公家らしくなかったが、知恵物で知られその才から…
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板垣退助は土佐藩の上士・乾正成(馬廻300石)の嫡男として、1837年4月17日に生まれた。
母は山内勝長の妹。
記事トップの写真は高知城内にある板垣退助の銅像で、下記は高知城下にある板垣退助誕生地の石碑。
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伊藤梅子は1848年に、山口県赤間関城ノ腰に住む、木田久兵衛の長女として生まれた。最初の名は木田梅子。
17歳の頃、亀山砲台があった、亀山八幡宮境内のお亀茶屋にて、お茶子をしていた際に、伊藤博文と出会った。
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「幕末」は「ばくまつ」と読みます。
このページでは小学生にもわかりやすいように、幕末についてご説明したいと存じます。
まず、なんで「幕末」と呼ぶのかと申しますと、江戸幕府の末期に起こった出来事をまとめて表現し…
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大鳥圭介(おおとりけいすけ)は、播磨赤穂の赤松村(兵庫県赤穂郡上郡町岩木丙石戸)の医師・小林直輔の長男として、1833年(天保4年)2月25日に生まれた。幼名は慶太郎で、成人すると小林慶太郎と名乗っている。
3歳の…
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横井小楠(よこいしょうなん)は、熊本藩士・横井時直の次男として、1809年8月13日、肥後(熊本県)熊本城下の坪内町で生まれた。
1818年、熊本(肥後)藩校・時習館に入学し、居寮生となる。
その後、講堂世話役を…
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五代友厚(五代才助)とは
五代友厚(ごだいともあつ)は薩摩藩士・記録奉行の五代直左衛門秀尭の次男として、江戸時代後期の1836年12月26日に薩摩国鹿児島城下の城谷で生まれた。名は友厚、通称徳助・才助、号は松陰。
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ジョン万次郎(中濱萬次郎)とは
ジョン万次郎(ジョン・まんじろう)の本名は中濱萬次郎(中浜万次…
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島津忠義(しまづただよし)は、島津氏分家である重富家・島津忠教の長男として1840年4月21日に生ま…
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