過去の記事一覧

  • 三条実美  尊王攘夷派の公家で明治天皇を補佐した太政大臣

    三条実美とは 三条実美(さんじょう さねとみ)は公卿・内大臣である三条実万の3男として1837年2月7日に京都梨木町(京都府上京区)にて生まれた。幼名は福麿。三條實美とも書く。 母は正室:紀子、眉寿姫 (土佐藩主…
  • 安藤信正  優れた手腕を発揮し公武合体を進めた幕府老中

    安藤信正は、1819年11月25日、磐城平藩の第4代藩主・安藤信由の嫡男として。磐城平藩の江戸藩邸で生まれた。 母は大河内松平信明の娘。 幼名は欽之進、後に欽之介。元服時の初名は信睦(のぶゆき)、老中在職中に信行(の…
  • 貞宮多喜子 内親王

     貞宮多喜子内親王(さだのみやたきこないしんのう)は、1897年(明治30年)9月24日に生まれた明治天皇の第10皇女。  父は明治天皇で、母は典侍園祥子(伯爵・園基祥の次女)。  楫取素彦が明治30年、…
  • 大河ドラマ 花燃ゆ 1月放送の気になる展開とあらすじ

     NHK大河ドラマ「花燃ゆ」、皆様ご覧になられていますか?  1月18日に第3回の放送となり、吉田寅次郎が伊豆下田で、ペリー提督の黒船に密航しようとするところまで進みました。  第1回で放送された時の年代…
  • 武市半平太とは~一藩勤王の理想をかかげ土佐勤王党を設立する

    一藩勤王の理想を掲げ、高知にて「土佐勤王党」(とさきんのうとう)の首領となった武市半平太(たけいちはんべえた)。 その武市半平太の生涯を高知のゆかりある地ともにご紹介したい。 武市半平太は、文政12年(1829年…
  • 久世広周の解説~(久世廣周)関宿藩主で航海遠略策を推進した老中

    久世広周とは 久世広周は、1819年4月12日に江戸幕府の旗本・大草高好(3500石)の次男として生まれた。 父・大草高好(おおくさたかよし)は、長崎奉行、小普請奉行、作事奉行、勘定奉行、江戸北町奉行などを歴任。…
  • 広岡浅子 (三井浅子、三井あさ) の生涯 九転十起生・あさが来た今井あさ/白岡あさのモデル

    広岡浅子(ひろおかあさこ、三井あさ)が生まれたのは、江戸時代後期(幕末)の嘉永2年(1849年)9月3日。 京都・油小路通出水の小石川三井家である第6代当主・三井高益の4女として誕生した。兄に三井高喜がいる。 201…
  • 馬関とは

     馬関とは、山日県下関のことで、下関の古い名称である。  赤間関(あかまがせき)を赤馬岡とも書いたことから馬関と称された。  文久3年(1863年)長州藩は覇夷を実行するため、他藩にさきがけて下関海峡(馬…

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  1. 近衛忠熙(このえただひろ)は、江戸時代後期の公卿・近衛基前の子として1808年7月14日に生まれた。…
  2. 山縣有朋(やまがたありとも、山県狂介、山県有朋、山県小輔)は、1838年、萩城下近郊にある阿武郡川島…

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