過去の記事一覧
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野村彝之介(のむらつねのすけ)は、1824年生まれの水戸藩士。
父は野村則行。母は石川喜昌の娘で、その長男。
家禄は100石で、水戸藩では北郡奉行を務め、尊王尊攘運動に参加した文武両道の人物であった。
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西丸 帯刀(さいまる たてわき)は常陸国北部磯原村(現・茨城県北茨城市)の旧族郷士・野口北水の次男として1822年に生まれた。幼名は義勝、諱は亮、号は松陰。
野口家は徳川綱條の代に野口市蔵が郷士になっていた。
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土壇場(どたんば)に立たされた、土壇場に追い詰められたなどとして使われる言葉「土壇場」
皆様も一度は使った事がある言葉なのではないでしょうか?
でも、なんで「土壇場」と言うのでしょう?その意味を調べてみ…
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幾松(いくまつ)は、若狭小浜藩士・木崎市兵衛の娘として、1843年に生まれた。
母は三方郡神子浦の医師・細川益庵の娘・末子。
父・木崎市兵衛は、若狭小浜藩主・酒井忠義に仕え、町奉行の祐筆であったが、藩内の事件から…
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徳川慶篤は、水戸藩主・徳川斉昭の嫡男として、1832年5月3日に水戸藩上屋敷にて生まれる。幼名は鶴千代麿。
母は登美宮吉子女王。
父・徳川斉昭は尊王攘夷派で、積極的に水戸藩の藩政改革や、軍事力の近代化を図り、徳川…
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どうも、皆様いつもありがとうございます。
さて、記念すべき? 「幕末風雲大喜利」シリーズの最初のお題は
「良い尊王攘夷」と「悪い尊王攘夷」でございます。
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徳川御三家で幕末の水戸藩主・徳川斉昭(とくがわ-なりあきら)に関して、幕末期の動向に絞り、詳しくご紹介する。
3男で部屋住みの身分であったが、水戸藩第8代藩主・徳川斉脩が亡くなった際、藤田東湖・会沢正志斎ら藩内の志士が…
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長野主膳は、伊勢国飯高郡滝ノ村の出身で、1815年10月16日に生まれた。
先祖は上州長野家とも伝わるが、出自や若い頃は不詳。
本居宣長の国学に興味を持ち国学者となると、紀州新宮の領主・滝野次郎左衛門の妹であ…
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中岡慎太郎(なかおかしんたろうは、天保9年(1838年)4月13日~慶応3年(1867年)11月17…
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征韓論(せいかんろん)とは、明治初期に、留守政府として政治を取り仕切っていた西郷隆盛・板垣退助・江藤…
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