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斎藤一とは~新選組の中でも腕の立つ剣士 会津藩と運命を共に
斎藤一 斎藤一(さいとう-はじめ)は、はじめ山口一として 1844年1月1日、江戸(今の文京区九段下の辺り)にて生まれたとされる。 父が明石出身で明石浪人を名乗った理由から、播磨・明石藩出身説や、会津出身とする資… -
土方歳三の解説 新撰組副長としての「生き様」とは
土方歳三とは 土方歳三の信念は「武士よりも、武士らしく。」そして、夢は「新選組を天下一の組織にし、近藤勇を大名にする。」です。 土方歳三(ひじかた-としぞう)が生まれた家は、東京・多摩の豪農です。 多摩は徳川家… -
佐川官兵衛の解説~会津藩の「鬼の官兵衛」「鬼佐川」
佐川官兵衛とは 佐川官兵衛は、幕末の1831年10月10日、会津藩士・物頭の佐川直道(佐川幸右衛門直道)(300石)の嫡男として生まれた。 物頭は足軽20人、小頭1人の上に立つ者で、合戦の際には先頭で… -
まちなか周遊バスで観光すれば会津戦争がもっとわかる! 城下町の位置関係とは
福島県郡山市から1時間30分、新潟県新潟市から1時間50分、高速バスで1時間30分から2時間程度、内陸の盆地に位置する福島県会津若松市。 幕末には会津戦争の舞台となり、飯盛山では白虎隊が自刃、鶴ヶ城では1ヶ月におよぶ籠… -
西郷頼母~幕末の動乱期に藩主・松平容保支えた会津藩家老
西郷頼母とは 西郷頼母(さいごうたのも)1830年3月24日~1903年(明治36年)4月28日 西郷頼母は、菊池氏族西郷氏で江戸時代後期~幕末期の会津藩の家老。 西郷家の会津藩での家禄は1700石。 … -
永倉新八の解説 豪胆にして信念を曲げなかった新選組最強の剣士
永倉新八(ながくら-しんぱち)は、松前藩の江戸定府取次役・長倉勘次(150石)の次男として、1839年4月11日に、江戸の上屋敷にて生まれた。 兄は夭逝している。 8歳の頃には既に竹刀を握り、1846年、神道無念… -
山縣有朋【山県狂介・山県小輔】の解説 日本陸軍の父でもある長州藩出身の藩閥政治家
山縣有朋(やまがたありとも、山県狂介、山県有朋、山県小輔)は、1838年、萩城下近郊にある阿武郡川島村(現在の山口県萩市川島)にて誕生した。 父は、長州藩の蔵元附中間・山縣有稔で、その長男として生まれたのだ。 幼名は… -
篠原国幹 陸軍少将を辞して薩軍に加わり田原坂の戦いで散る
篠原国幹(しのはら-くにもと)は、薩摩藩士・篠原善兵衛の子として鹿児島城下加治屋町で生まれました。 通称は、篠原冬一郎です。 加治屋町と言えば、西郷隆盛、西郷従道、大山巌、東郷平八郎、樺山資紀などたくさんの英傑を輩出…