タグ:会津戦争
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飯沼貞吉とは
幕末の1868(慶応4)年、討幕派の新政府軍と旧幕府軍の間で勃発した戊辰戦争は、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに開始された。
日本の命運を賭けた激闘はやがて会津若松(現・福島県)にまで及ぶこととなる。
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松平容保とは
松平容保(まつだいらかたもり)は、天保6年12月29日(1836年2月15日)に、美濃の高須藩主・松平義建の6男として誕生した。
母:古森氏で会津松平家第8代藩主・松平容敬の養女。
その縁もあ…
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島田魁(しまだ-かい)は、美濃国方県郡雄総村(岐阜県岐阜市)の庄屋・近藤伊右衛門の次男として1828年1月15日に生まれた。
しかし、父が関与していた木曽川奉行所が、木曽川の氾濫で木材を流出してしまう不始末を起こしたこ…
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土方歳三資料館
東京都日野市の国道20号の日野バイパス近く、多摩モノレールの「万願駅」からほど近いところに「土方歳三資料館」があります。
そうです。新選組の副長として京だけでなく、近藤勇の死後も、会津・函館と旧幕…
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板垣退助は土佐藩の上士・乾正成(馬廻300石)の嫡男として、1837年4月17日に生まれた。
母は山内勝長の妹。
記事トップの写真は高知城内にある板垣退助の銅像で、下記は高知城下にある板垣退助誕生地の石碑。
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山川健次郎(やまかわけんじろう)は嘉永7年(1854年)生まれ-昭和6年(1931年)没。
日本国内に設置された7つの帝国大学のうち東京帝国大学、京都帝国大学総長、九州帝国大学の初代総長に任ぜれている。
さ…
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長州藩医(眼科医)であった山根文季は、矢原村で眼科医として名声高い重宗良策の次男である。名は山根正直とも。
子の小野為八(おのためはち)は幕末の攘夷運動に身を捧げている。
山根文季はは矢原の蔵光で育ち、げん…
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山田顕義(やまだあきよし)は、長門国阿武郡椿郷東分(現・山口県萩市)で、長州藩士の大組士・山田七兵衛顕行(禄高102石、藩海軍頭)の長男として1844年10月9日に生まれた。
幼名は山田市之允(いちのじょう)。
山田…
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今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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