タグ:偉人
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永倉新八(ながくら-しんぱち)は、松前藩の江戸定府取次役・長倉勘次(150石)の次男として、1839年4月11日に、江戸の上屋敷にて生まれた。
兄は夭逝している。
8歳の頃には既に竹刀を握り、1846年、神道無念…
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井上源三郎
井上源三郎(いのうえ-げんざぶろう)は、武蔵の日野宿北原(東京都日野市日野本町)に住む、八王子千人同心頭を世話する井上藤左衛門の3男として、幕末の1829年3月1日に生まれた。
母の名は不詳。
長兄…
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江川英龍とは
江川英龍(えがわ-ひでたつ)は、江川英毅の次男として1801年5月13日に韮山で生まれた。
母の名は久子、妻は北条氏征の娘。
源頼親を祖先に持つ、この江川家は1160年代に、伊豆・韮山を知行したの…
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佐藤彦五郎(さとう-ひこごろう)は、多摩の日野本郷名主である下佐藤家・佐藤半次郎の嫡男として、1827年9月25日に生まれた。幼名は庫太(くらた)。
母の名は佐藤まさ。この母は、土方歳三の父・土方隼人の妹にあたる。
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人見絹枝(ひとみ-きぬえ)は、日本人の女性として初めて、オリンピックのメダリストになった女子陸上競技選手です。
明治40年(1907年)に岡山県岡山市で生まれました。
父は人見猪作で、母・岸江の次女となります。
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二階堂トクヨ(にかいどう-とくよ)は、日本における女子体育を広め日本女子体育大学を設立した女性で、女子体育の母と称されます。
出身は、宮城県大崎市三本木で、明治13年12月5日に生まれました。
父は二階堂保治て、母は…
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北里柴三郎(きたざと-しばさぶろう)は、明治から昭和にかけて活躍した医学者・細菌学者です。
特にペスト菌を世界で初めて発見し、破傷風の治療法を確立させるなどの感染症医学の発展に大きく貢献しました。
人類の歴史の中…
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福沢諭吉とは
福沢諭吉(ふくざわゆきち)は、中津藩の下級藩士・福澤百助(福沢百助)と妻・於順(お順)の次男として、天保5年12月12日(1835年1月10日)に生まれた。
当時、父は大阪の商人である鴻池や加島屋な…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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