タグ:幕末
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幕末の長州藩士・吉田松陰は、黒船密航の罪で野山獄への投獄、のち自宅謹慎となり「松下村塾」を開き若者と共に学んでいたが、1858年に、老中・間部詮勝を暗殺するため、長州藩に武器の提供を求めた事から、驚いた藩は吉田松陰の動…
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陸奥宗光(むつむねみつ、伊達小次郎)は、紀州藩士・伊達宗広の6男として、1844年7月7日に生まれた。
母は政子(渥美氏の娘)。
この伊達家は500石の大身で、父は国学者・歴史家として知られた為、陸奥宗光も尊王攘夷に…
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お登勢(おとせ)は、大津で旅館業・大本重兵衛の次女として1829年頃に生まれた。
※米問屋の娘ともあるが、2013年に大津・丸屋町で「升屋」と言う宿を経営した重助の次女で、兄弟が4人いたことも判明している。
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山内容堂(やまうちようどう)は、土佐藩連枝の山内南家当主・山内豊著(土佐藩12代藩主・山内豊資の弟)の長男として、1827年10月9日に生まれた。
母は側室の瀬代(平石氏の娘)。
山内南家は分家で1500石と、序…
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明治天皇(めいじてんのう)は、孝明天皇の第二皇子として嘉永5年(1852年)9月22日に、京都石薬師の中山邸にて生誕した。
生母は権大納言・中山忠能の娘・中山慶子。
1歳のときである1853年にはペリー提督の黒船…
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徳川家定(とくがわいえさだ)は、徳川幕府の第12代将軍・徳川家慶の4男として、1824年4月8日に江戸城西ノ丸大奥で生まれた。
母は側室の美津(堅子、本寿院)。
徳川家慶の男子は早世した子が多く、この徳川家定も幼…
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日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)は、幕末の1858年(安政5年)に、日本とアメリカとの間で結ばれた条約です。
アメリカ側の交渉人はあの、タウンゼント・ハリスさんですね。
条約の…
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野村望東尼(のむらもとに、ぼうとうに)は、福岡藩士・浦野勝幸(浦野重右衛門勝幸)(300石)の娘(3女)で、1806年9月6日生まれ。幼名は「もと」(モト)。
17歳のとき最初の結婚をして20歳年上の郡利貫(5…
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今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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