タグ:幕末
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幾松(いくまつ)は、若狭小浜藩士・木崎市兵衛の娘として、1843年に生まれた。
母は三方郡神子浦の医師・細川益庵の娘・末子。
父・木崎市兵衛は、若狭小浜藩主・酒井忠義に仕え、町奉行の祐筆であったが、藩内の事件から…
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徳川慶篤は、水戸藩主・徳川斉昭の嫡男として、1832年5月3日に水戸藩上屋敷にて生まれる。幼名は鶴千代麿。
母は登美宮吉子女王。
父・徳川斉昭は尊王攘夷派で、積極的に水戸藩の藩政改革や、軍事力の近代化を図り、徳川…
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徳川御三家で幕末の水戸藩主・徳川斉昭(とくがわ-なりあきら)に関して、幕末期の動向に絞り、詳しくご紹介する。
3男で部屋住みの身分であったが、水戸藩第8代藩主・徳川斉脩が亡くなった際、藤田東湖・会沢正志斎ら藩内の志士が…
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長野主膳は、伊勢国飯高郡滝ノ村の出身で、1815年10月16日に生まれた。
先祖は上州長野家とも伝わるが、出自や若い頃は不詳。
本居宣長の国学に興味を持ち国学者となると、紀州新宮の領主・滝野次郎左衛門の妹であ…
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三条実美とは
三条実美(さんじょう さねとみ)は公卿・内大臣である三条実万の3男として1837年2月7日に京都梨木町(京都府上京区)にて生まれた。幼名は福麿。三條實美とも書く。
母は正室:紀子、眉寿姫 (土佐藩主…
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安藤信正は、1819年11月25日、磐城平藩の第4代藩主・安藤信由の嫡男として。磐城平藩の江戸藩邸で生まれた。
母は大河内松平信明の娘。
幼名は欽之進、後に欽之介。元服時の初名は信睦(のぶゆき)、老中在職中に信行(の…
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一藩勤王の理想を掲げ、高知にて「土佐勤王党」(とさきんのうとう)の首領となった武市半平太(たけいちはんべえた)。
その武市半平太の生涯を高知のゆかりある地ともにご紹介したい。
武市半平太は、文政12年(1829年…
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久世広周とは
久世広周は、1819年4月12日に江戸幕府の旗本・大草高好(3500石)の次男として生まれた。
父・大草高好(おおくさたかよし)は、長崎奉行、小普請奉行、作事奉行、勘定奉行、江戸北町奉行などを歴任。…
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今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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