タグ:松下村塾
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中谷正亮(なかたにしょうすけ)は、1828年生まれの長州藩士。変名として中谷附忠兵衛、中谷茂十郎とも呼ばれる。
父は通称・忠兵衛又は市左衛門、章貞。
幼い頃には福原冬嶺から学ぶと、明倫館でも良く学び秀才と称された。
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長州藩医(眼科医)であった山根文季は、矢原村で眼科医として名声高い重宗良策の次男である。名は山根正直とも。
子の小野為八(おのためはち)は幕末の攘夷運動に身を捧げている。
山根文季はは矢原の蔵光で育ち、げん…
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外夷小記
廻浦紀略
稽古事控
明倫館御再建控
西遊日記
末忍焚稿
公事記
武教全書講章
末焚稿
費用録
辛亥日記
東遊日記
辛亥歳雑抄
東北遊日記
睡余事録
猛省録
屏居読書抄
業…
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小野為八(おのためはち)は、長州藩医(眼科医)・山根文季の長男として香川津にて、1829年に生まれた。小野正朝とも。
幼少より藩医・小野春庵のもとで教育を受けるとその後、藩医・小野家の養子となった。
弟に山…
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玉木彦助は、長州藩士・玉木文之進の長男として、1841年5月17日に生まれた。名は正弘。字(あざな)は毅甫。
吉田寅次郎の叔父でもあった父・玉木文之進は大組士40石取りの中堅武士で、1842年に松下村塾を創…
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松下村塾とは
松下村塾は、幕末の長州藩・萩で、1842年、長州藩士・玉木文之進が松本村の自宅で開いた私塾が始まりで、塾の名を松下村塾と名付けた。
この玉木文之進は、吉田寅次郎の叔父で、幼い頃の吉田寅次郎も近所で通…
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富永有燐(富永有隣、富永弥兵衛、とみながゆうりん)は、周防国吉敷郡陶村(現在の山口県山口市)にて1821年5月14日に生まれた。
父は長州藩士である御膳夫士の富永七郎右衛門で、その長男。諱は徳、後に悳彦。通称は弥兵…
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伊藤利助(伊藤博文)は、周防の貧しい農家の生まれだが、父・林十蔵が破産して萩に移り住むと、父が長州藩の蔵元付中間・水井武兵衛の養子となり、のちに周防の足軽・伊藤弥右衛門の養子となった為、父と伊藤利助は足軽となった。
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今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
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蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
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