タグ:長州藩
-
井上勝(いのうえまさる)は、長州藩士・井上勝行の3男として1843年8月1日、萩にて生まれる。
程なく野村家の養子となり野村弥吉と称した。
16歳のとき、藩命で長崎にてオランダ人から兵学を生部と、翌年には江戸…
-
吉川経幹(きっかわつねまさ)は長州藩の支藩となる周防岩国領(6万石)の第11代領主・吉川経章の長男で、1829年9月3日に生まれた。通称は監物。幼名は亀之進。
母は家臣・長井元幹の娘・梅(清操院、長井省吾の妹)。
…
-
山尾庸三(やまおようぞう)は長州藩士で村役人・山尾忠治郎の次男(3男とも?)として、周防国吉敷郡二島村(山口市秋穂二島)にて1837年10月8日に生まれた。幼名は富士太郎。
母は山尾末子。
父・山尾忠治郎は…
-
中原復亮(なかはらまたすけ)は、長州藩・大津郡三隅豊原の農家の子として1843年11月7日に生まれた。
俊応と言う僧侶の長男であったともあり、中原衛門七復亮(中原衛門七)とも言う。
1863年の下関戦争のあ…
-
宍戸たまき(ししどたまき、宍戸璣)は、長州藩士・安田直温の3男として1829年4月18日に生まれた。
幼名は安田辰之助。名は子誠、のち敬宇。
妻は清水谷公正の娘・千枝子。
安田辰之助は玉木文之進…
-
小倉健作(松田謙三)は、長州藩の藩医・松島瑞蟠の3男として1832年1月8日に生まれた。
兄に松島剛蔵と楫取素彦(小田村伊之助)がいる。幼名は百合熊、字は士健、号は鯤堂または剣槊。
明倫館の学頭を勤めた小倉…
-
幕末の長州藩士・吉田松陰は、黒船密航の罪で野山獄への投獄、のち自宅謹慎となり「松下村塾」を開き若者と共に学んでいたが、1858年に、老中・間部詮勝を暗殺するため、長州藩に武器の提供を求めた事から、驚いた藩は吉田松陰の動…
-
成瀬仁蔵(なるせじんぞう)は、吉敷毛利家の武士・成瀬小左衛門の長男として1858年8月2日に周防国吉敷郡吉敷村(山口県山口市吉敷大形)で生まれた。
父は成瀬小左衛門は長州藩毛利家の一門である吉敷毛利家に仕えた下級武…
PAGE NAVI
- «
- 1
- 2
- 3
- 4
- 5
- 6
- 7
- 8
- 9
- 10
- …
- 15
- »
新着記事
-
今更ながら筆者は、「下手な横好き」という言葉が正しく相応しい素人の歴史愛好家である一方、30年前以…
-
蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)は、江戸時代中期の版元(出版人、今でいうプ…
ページ上部へ戻る
Copyright © 株式会社TOLEDO All rights reserved.